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発達障害児を育てる私がnoteを始めた理由

 はじめまして。神木梨沙と申します。非正規フルタイムで働きながら二児の母をしています。

 2015年生まれの長男は現在5歳の保育園児。3歳の時に自閉スペクトラム症の診断を受けました。ADHDの気もあり。エビリファイ服用中。母子分離の集団療育に通っています。

 2017年生まれの次男は現在3歳の保育園児。定型発達児。


・とにかくしんどい

 しんどい。毎日しんどい。とにかくしんどい。

 私は大好きだった仕事を辞めた。仕事についての話はいつか書きたいのだけど、平たく言えば、障害児育児と両立できなかったのだ。どうにかする道はあったのかもしれないけど、だけどもうどうにかする元気もなかった。とにかく、やっていけなくて辞めた。今は特に好きでもない仕事をしている。嫌いでもないし、ありがたいことに仕事ぶりを評価もしていただいていると思う。だけど、今までにしてきた仕事のように、仕事に向かうワクワクした気持ちもない。

 ワクワクしない仕事を淡々とこなして、定時で逃げるように退勤して保育園に向かう。玄関を入ると、ひどいときは保育室に向かう廊下で既に長男がグズっているのが聞こえる。ひどくなくても、顔を合わせると「帰りたくない」だの「あっち行って」だの言われ、八つ当たり的に出席帳を廊下の向こうに投げ捨てられ、そこにあったゴミ箱を蹴り飛ばして中身をぶちまけられる。先生は言う。「今まで、お母さんまだかなってずっと待ってたんですよ」と。

 分かっている。本当は帰りたいのが本音。私のことを待っていたのが本音。ただ、自閉症児の特徴で、場面の切り替えができないのだ。園で過ごす時間を、帰宅のスイッチに切り替えることに手こずって、癇癪というアウトプットになっているだけなのだ。だから、その時に発される言葉の内容に意味なんてない。分かっている。分かっているけれども、退勤後ひといきもつくことなく、なんならトイレに行く暇もなく駆け込んだ保育園で顔を見るなり否定の言葉をかけられ、一日たりともすんなり帰らないという状況に、疲れ果ててしまった。しかも、そんなみじめな私の隣ではよその子がお迎えに来たママに嬉しそうに駆け寄り、登場から2~3分もすると親子で帰って行くのを見せられるオマケつき。それを眺めつつ、私は今日も長男の癇癪が落ち着くまで10分も15分も待ち続ける。


・もう限界

 とにかく規格外の長男に振り回され、次男にも思うように向き合ってやることもできず、とにかく疲れ果てたものの、息抜きをする手段がない。とにかくスタバ的なところに行きたい・・・と思うけれど、子供をみていてくれる人がいない。

 私はいろんなところに泣きついた。普段はあまり人に頼ったり相談したりすることが得意ではない私だけど、こんなにも自分の努力や工夫、忍耐だけでは乗り越えられないしんどさに出会うのが初めてで、このままでは踏ん張り切れなくて、私か子供、いや、高い確率でその両方、ひいては家族全体が傷つき崩れてしまう未来しか来ないと思い、その懸念ができる理性が残っているうちにSOSを出した。保育園の先生にも、療育の先生にも、行政にも、療育の先生にも。みんな話を聞いてねぎらってくれた。聞いてもらって少し楽になったし、またいつでも話を聞くよと言ってくれた。だけど解決できる支援策を思いつく人はいなかった。試しに「障害児育児」で検索をかけると、「疲れた」「ストレス」「うつ」といった検索ワードがくっついて表示された。ああ、きっとこれは解決なんかしなくて、私は耐えて耐えて、時々ガス抜きをして、そうやっていくしかないことなんだなと思った。


・「楽しみですね」

 私、このままではノイローゼになってしまう。もうスタバ的なところに行くぐらいのことでは回復してこないかもしれない。

 そう思って、noteのアカウントを作った。

 長男からぶつけられる理不尽や、福祉サポートの行き届かない部分を書き散らしてやろう。私の怒りや不満を吐き出す場所、の矛先としてnoteに目を付けたのだ。だけれども、アカウントを作った私をnoteは「クリエイター」と呼んでくれた。クリエイターである以上は、そんな呪詛のような、無益な記事であったとしても、やはり誰かに読んでもらえるといいな、と思った。

 そうして2か月が経った。どういう風に書こうか考えているうちに、アカウントを作ってひとつも記事を仕上げないまま2か月が過ぎたのだ。

 そうこうしているうちに、生活にも変化が現れた。とにかくしんどかった時期を抜けて、今少し落ち着いて子供と接することができている。その理由はまた書いていきたいと思う。

 先ほど長男のことを規格外と書いた。扱いの難しさも並外れているけれど、彼の興味や行動もやはり独特で、彼が今後どうなっていくのか「楽しみですね」と言われることも時々ある。年齢なりの社会性もないので母としては楽しみも何も心配の方が大きいのだけれど、確かに彼にしかない持ち味はあって、最近は彼の長所は長所として、行く末が楽しみだなと素直に思えることもある。

 そんな、ちょっと独特な長男との日々を、書いていく場所にしていこうかな、と今日はとうとう最初の記事を書いた。

 また心が波立って怒りや不満を吐き出す記事を書く日が来るのかもしれないけれど、それもまた障害児育児の現実。

 オシャレでもない、対応上手でもない、なんてこともない母親の雑記ですが、どうぞよろしくお願いいたします。

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