ちょっと思いついた絵の練習方法

嫌いな絵を模写する。

嫌いなものって自分に足りないものが詰まってると思うんです。

だって絵を見て嫌いって思うなんて、心の動きとして相当インパクト強いというか、かなりオカシイことじゃないですか。味が嫌いとか音が嫌いとかは生命の危機に対するセンサーの弱くなったバージョンだと考えれば生き物としてごく普通の感覚ですけど、たかが絵ですよ。自分に何の危害も加えない、何の危険もない、小さい枠組みの中の弱い光。でも嫌い。

好きじゃないなら関心を持たなければいいだけなのに、なんでわざわざ嫌いだと感じるのか。

たぶんそれは、そこに自分が持っていない技術や自分にはできない物の見方が詰まっていて、どうやらそれに一般性の高い価値があることを感じるから。

ただそれに価値があると認めてしまうと、それができない自分は無価値ということになるので、そういうものは嫌いと思うことにして自分を守ってる。自分の不完全性を正当化するわけです。


まあたかが趣味なんで好きなものを好きなように描ければいいんですが。

好きだという感覚って自分の中に既に存在してる価値観に根差してる、要は自分の中にもうあるものでしかないし、それをアウトプットするのにも自分が今持ってるスキルしか使わない、となると、もう本当に何も生んでないですよね。

どうせ労力を注ぐなら自分を成長させたいもんです。趣味だからこそ。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?