音楽とお絵描き

バーチャルフレットレスベーシストとして生を受けたはずがプリーツスカートを中心に絵ばかり描いている。

最近はどこを見ても楽器・音楽が圧倒的に上手い人、何より、音楽が大好きなのが伝わってくる人で溢れており、この世界で自分が楽器を弾く意味は全く無いなという感覚に陥っている。

そもそも自分は音楽そのものが好きなわけじゃなくて自分の頭と手を使って何かを形にするのが好きで、たまたまそこに楽器の演奏という行為が合致していただけ。

もちろんそういうモチベーションで取り組むのも楽しいし充実はするけれど、音楽そのものへの興味や好意を持って取り組む人には及ぶべくもなく。


一方、絵は下手なりに自分が描かなければこの世界に存在し得ないようなものを描ける実感がある。

これは独創的ということではなく、既存の絵や写真といったものから好きな要素を分解し、自分が好きなパーツを集めて再びひとつのものを組み立て直しているにすぎないのだけれど。


そうした「分解・再構築」は音楽でも全く同じことのはずだけれど、楽器の演奏はそもそもの器楽的スキルがリミッターとなってあるひとつの演奏をしている最中はそれ以上の事は絶対に出来ないのに対し、絵を描くのは時間や手間をかければかけただけ自分のスキルの天井は少なくとも越えられる。それが魅力を持つ方向に向くかは別問題だけれど、とにかくひとつの作業の中で「出来ないことでも出来る」というのは魅力だ。

まあ、アンフェアな比較ではある。楽器演奏はちょっと長く取り組んでいるけれど絵を描き始めたのはここ2年くらい。
自分の能力の変化(一般的には「上達」と呼ぶのだろうけれど能力そのものが根本的に上がっている実感は無いのでやはり「変化」と言うのがしっくりくる)を日々目に見えて(文字通り、「目に見えて」!)実感できるのは絵の方なので、そちらが楽しいのも当然のこと。


などと書いたが、よくよく考えてみれば「音楽」「絵」というそれぞれ途方もなく広範なハズの括りの中で自分が興味を持ったり取り組んだりしている『音楽』『絵』はいずれもメチャメチャ限定的な範囲のものだ。

それで【「音楽」そのものが好きじゃない】と言ってみるのも【『絵』は自分が出来ないことでも時間や手間をかければ出来る】と思っちゃうのも烏滸がましい話である。

手の届く範囲で楽しく取り組めたら充分なのかな。そうなんだろうな。

健全な気持ちになって終わった

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?