自分を自分で消したくなった夜のこと

初めて躁鬱のことを書いたのが6月の初め。


そこからなんやかんやで2か月程時間がたってしまった。

まぁ気分が乗った時に書きためていって、

いつか私の経験をまとめられたらいいかなぁ、

ぐらいの軽いスタンスで綴るのが負担がないので、


気まぐれの更新を今後もしようと思います。



さて、今日文書を書きたいと思ったのは、

今の気持ちを書き留めておきたくなったからです。


というのも、三浦春馬さんの自死が頭から離れないのです。


いろんな憶測や記事がネット上にあふれていて、

それを目にするのが辛かったけど、

亡くなってから2週間程経つ今、

少しずつ記事が減っていくのが感じられ、

当然のこととは言え、ずっとなにかしらの記事が目に入り続けてほしいと思ってしまう。


真実と事実は異なるから、

なくなった本当のことは誰にもわからない。

ただ、もうこの世界にはいないし、

彼の作品は撮影済みのもの以外は見ることはできないことは事実。



話変わって、私は躁鬱の真っ最中だった頃、

一度だけ瞬発的にこの世から消えてしまいたいと思ったことがある。

それはまだ病院に行ったりする前、

自分の症状に自覚はないが、

周囲の人からは危ないと思われていたであろう、

今振り返って一番怖かった眠れなかった夜のことだ。

死にたいとか、

自分の存在を消してしまいたいとか、

そういう悲壮感漂う絶望の中で、

どうやったら消えることができるんだろう、

とリアルに考えたのはその時が初めてだった。


小さい頃、

例えば目の前を走ってる電車に飛び込んだから死ぬんだなぁ、

とか、

家のベランダから飛び落ちたら死にはしないけど、

脚は大怪我するだろうなぁ、

とか、


そんな刹那的な怖いものみたさのような衝動とは違う、

自分で自分を消したくなる衝動。


それを初めて感じて、

でもどうにもできなくて眠れなくて、

朝が来るのが怖かったあの夜の不気味な気持ち。


もう寛解している今の私が、

当時を思い出すとき、

真っ先に浮かぶのがこの不気味な衝動です。


ゾワっとするけど、

なにもできなくてもどかしくて、

そんな自分が嫌いで消えてしまいたくなった、

あの日のこと。

三浦春馬さんの自死のことはなにもわからない。

ただただ生前の作品を見て、

その爽やかで穏やかな笑顔をみて癒されて悲しくなる。






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