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ツインレイ〜破壊と創造?

私たちは、まだヤってない。

何にも、してない。

それでも、二人とも心の中は同じ気持ちって信じられる、そして、お互いの日常を淡々と過ごしてゆける。周りに愛を注ぎながら。


こんなふうに落ち着いていられるまでは、私はいっぱい泣いて、気持ちと目の前の現実との乖離に悩んだり苦しんだり。


割り切ってとかでいい、って彼に気持ちをぶつけて、家族裏切りたくない、ってピシャリと言われたことだって、ある。

そんな時期も経て、の今。落ち着いていられる二人のバランスが、いい感じに、ある。

たまに仕事絡みで会うだけだけど、会えば楽しく和やかに話せる。
時間は短くても、周りに人がいても、何となく、お互いの気持ちは分かる。
夢でも会える、気持ちも入ってくる。

だから、欲を出さなければ、これで満足できる、はずだ。

いや、むしろ、お互いに家族のある身、これで十分過ぎるくらいではないのか、とも考えられる。


でも、それを突き崩されそうに、今なっている。

愛し合って、と宇宙から、猛プッシュされてるみたい。
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破壊と創造。

今あるものを壊さないと、新しいものは造れない。

だけど壊すのは、当然、怖い。

やっとのことで至った場所であるなら尚更。



でも最近思ったのは、卵料理をつくるには、卵を割ってガチャガチャかき混ぜないといけないのだ、ということ。


つるんとした、美しいフォルムの卵を割るのは何だかしのびない。

でも思い切って、ガツンと卵を打ち付けてヒビを入れなければ、殻の中から卵黄と卵白を出してこないことには、卵料理は何ひとつ作れないのだ。


卵を割ること、の一時的な野蛮さのようなもの。
この!ヒビひとつない美しい姿の卵を!自らの手で割るなんて、私はなんてひどいことをしようとしているのか、ってそんなふうにも考えられる。

でも、卵にヒビを入れること、美しいフォルムを崩してしまうこと、そしてぐちゃぐちゃにかき混ぜること、それ自体は本当はただのプロセスに過ぎない。

おいしい卵料理を作る、っていう、その目的のための。



ツインレイの歩みは人それぞれ、なんて聞く。

それは、その人が、その二人が、どんな卵料理を作りたいと思ってるのか、によって調理法が違うことと、似てる気がする。

でも、卵をガツンと割る時までのためらいや、怖さだったり、ガチャガチャかき混ぜる時のもしかしたら胸の痛みや涙は、みんな同じなのかも、とも思う。


だから、ツインレイの歩みを続けている者同士は、分かり合えることが、ある。

こっちだよ、大丈夫だよ、って伝えられることも、ある。

そんな、気がする。





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