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雑感⑤人並みって?

中村一義の「金字塔」を初めて聴いたのは二十四か五の暑い夏だった。

暑いって言っても、今思えばたかが知れてるというか、猛暑日なんて言葉もまだなかった頃の話。

その中に
「ああ、全てが人並みに、うまくいきますように」っていう歌詞が出てくる。

やられました。
ガツンと。

就職はしてたけど、将来の展望なんてものはなんにも見えなかった。

男友達は周りにいたけど、それとは別に男遊びもしてたし、ふらふらしてたし、前に付き合って振られた男のことを私はまだ引きずっていた。

そんな二十代半ば。

就職して結婚。

そんな「人並み」観がまだまだ通用していた時代。

多分、当時の私はその「人並み」が欲しかったと思う。
喉から手が出るくらいに。

でも、頭の中では、このままこの仕事してても私はどうなるんだろう、みたいな思いも常にあって、つまり仕事を通して自己実現しよう、とか自分を高めていこう、とかいうモチベーションも皆無で、絶対部下にはしたくない、職場の士気を下げるようなタイプの人間だったし。

恋愛だってふらふらしてばっかりで、ちゃんと相手に向き合うとか多分なかった。
今思えば、支えてほしいだけだった。

そんなふうで、このままの自分では「人並み」は望めない、と心の奥底では分かっていたからこそ、この歌詞が多分刺さったんだと思う。

傍から見たらあの頃の私は順風満帆に見えていたと思う。
内心の、仕事へのやる気のなさは置いといて、一見華やかに見える仕事に就いて、ランチやアフターファイブ(死語かも)を楽しむ同僚の女の子や男友達もいて、そうして私は若くて可愛かった。
ホントに。

なんにも思い煩うことなんてしないで、ただ仕事って割り切ってればよかったし、ホントに好きな人がいなくても飲みに行ったりする男友達がいれば十分でって、自分の奥底の欲望や渇きに目を瞑っていれば、そうすることができていたら、私は一直線に「人並み」を手に入れてたんだろうと思う。

でも、そうはならなかった。

今思えばそれでよかった。

もし、目を瞑って一直線に「人並み」を手に入れたとしても、多分私は、これじゃないって、いつかぶち壊したくなったんじゃないかな、自分の手で。


あれから二十年以上経って、さんざん回り道して、今の私は「人並み」を手に入れたように見えて、やっぱり傍からは、今も順風満帆に見えているのかもしれないけど。


実際はどうなんだろう。

ある程度年をとって、その間、災害とか流産とか、人の生き死ににも関わってみると、いや、人並みなんて関係なくて、ただ生きてるだけで偉いとか、健康の有り難さとかも身にしみて思ったり、そういうことへの感謝、それはできるくらいには私は大人になった。多分。


それでも、私はやっぱり、自分の心の奥底の欲望や渇きから目をそらすことができない。

だって、私の中にそれがあるって気付いちゃったんだもん。

損な性分だ。

見ない振りしてればラクなのに。



それと同時に、今の時代の、「人並み」観の通用しなさ、みたいなものも感じてる。


多分、「人並み」なんて言葉もなくなっていくのかもしれない。

これからは、みんなそれぞれの「自分並み」?みたいな感じなのかな。

みんながそれぞれの「自分の幸せ」を追い求めることができるなら、それが一番平和だ。

誰にも干渉されず、ジャッジもされず、そう、みんなそれぞれ自立すれば、他人の生き方に干渉やジャッジをしなくなるような気がする。

そういう世界って多分いい。

素敵だと思う。



歌詞の中には、
「愛が、全ての人達に、分けられてますように」
「感情が、全ての人達に、降り注ぎますように」
「ああ、全てが幸せに」
「この幼稚な気持ちが、どうか、永遠でありますように」
っていうフレーズもある。


これもとっても素敵。


私も幼稚なまま、誰かの幸せを願い続けたい。













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