母親のこと
誰の、何ていう作品だったかはっきり思い出せないのだけれど、そんなに昔でない、最近の時代小説。
貧しい町娘が、家のために、体を売る。
つらい時、町娘は、「50年前、50年後..」って口に出す。
50年前にも、50年後にも、自分のことを知ってる者は誰もいない。
そう思って、つらいのを乗り越える。
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母親のことで、やらなければならないあれこれや、周りに頭を下げなければならないあれこれや、私が感じてしまう閉塞感みたいなあれこれや、そんなものに触れる度、私は心の中で言う。
死ぬまで
母親が、死ぬまで
町娘の、50年前、50年後、みたいに。
私は心の中で言い聞かす。
ろくでもない娘、という自覚はあるし、人が言ってたら、いい年してまだそんな、みたいに思うかもしれなかった。
でも、母親の死を願う、とはまた違う。
母親が、死ぬまで、私は母親と接していくのだ、という、ただその事実を、自分自身に言い聞かせる、それだけだった。
何も頼れず協力も得られない親族がいるだけで、実質ひとりっ子、のような私が、母親の世話をして、葬儀を出して、今母親が住んでいる家を何とかする、そこまでが、これから私が一人で、やらなければならないことだった。
その覚悟を、自分に持たせるために、泣いても逃げてもムダだからね、って自分に言い聞かせるために、私はやっぱり、心の中で言う。
死ぬまで
母親が、死ぬまで
こんなあったかい春の日に
お母さん、お花見に行こう
ごはん食べに行こう
ねえ聞いて、ダンナがね
そんなふうに言ったりして
そうして、なんかやさしい言葉が返ってきたり、やさしく包んでもらえるような、そんなお母さん、が私にもいたら、よかった。
でも私にはそういう母親はいなかった。
生まれつきのもの。
誰がわるいとか何をしたから、とかでなくて、生まれ持ったものとしての、私と、母親。
母親が、死ぬまで
自分にそう言い聞かせて、私は母親と接していく。
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