ツインレイ統合って?

統合。

...何か分かったような、分かんないような言葉だ。

最初の頃は、結ばれることなのかと、つまりヤることなのかとも思っていた。

でも何か違う。

いっぱい泣いて泣いて、今私が思う、統合っていうのは、

ものすごくカッコつけた言い方をするなら

自分の中に神性を見出すプロセス。

そんなイメージ。


彼のことが頭から離れなくて毎日のように泣く中で、私はイヤでも自分自身の気持ちに向き合わないといけなかった。

そして、それまで心の中に蓋をして見ないようにしてた記憶とか、コンプレックスとか、そういうものもなぜだか思い出したりして、また泣いて。

自分の中の、乗り越えないといけない感情。
乗り越えたら、もっとラクに、軽やかに、楽しく生きられる、そんなものをひとつずつ手放したり、あるいは自分に改めて引き付けたり、とにかくたくさん向き合うことになった。

その中で私にとって大きかった気付きのひとつが

自分は、本当はこんなにも愛を持った人間だったんだ、っていうこと。


長い結婚生活や、義父母の介護や、あれやこれやでずっとホコリをかぶってた私の心。

でもそのホコリを取り払ってみたら、あれ、私の心はこんなにも愛に溢れて輝いていた。

それに気付けた時は、嬉しかった。


私は愛ある存在として、彼を愛する、私自身を愛する。
そして周りを愛してゆく。

愛ある存在として、バランスの取れた人格として、自分自身を満たしながら生きること。

それができるなら最高のことで、彼とのことがどうなろうと、それはおまけみたいなものかもしれない、とまで思えた。

自分を美しく、高めていくこと。
愛ある存在として生きること。

それが、私の思う、統合。

自分自身の中の愛、仏様のような心に気付いてゆくこと、実践してゆくこと。

それが、自分の中に神性を見出すこと、って思う。


そうして、プロセスである以上、統合に終わりはない。

神にもいろいろあるように、自分の成長度合いによって、神性も変わる。

バランスの取れた人格になれた!って思っても、またしばらくすると、自分の中でクリアしたい感情とか闇が出てくる。
そしたらまた泣いて、苦しんで、その闇と向き合えばいい。
乗り越えたらまたひとつ、あなたの心は新たな強さと光をまとってる。

そうやって、私たちは生きてる限り、魂の成長を続けてゆく。

もっと言えば、死が終わりではない。
死んでからも魂の成長は続いてゆく、って宇宙に教えてもらった。

だから、私は、死ぬのは怖くない。



ツインレイ関連の発信をする人って、みんなとっくに統合してて、お相手とも仲良しで、何の悩みもないような気がしてた。

もちろん、中にはそういう人もいると思う。
本当に仏様みたいな人格を手に入れた人も。

でも私は全っ然そうじゃない。

彼がお家で幸せでいてほしい、って思った次の日に、やっぱり奥さんとは相容れないとか私と会いたいとか思ってほしい、って苦しくなったりする。

バカみたいだ。

どこが神性だよって自分で言ってて笑うしかない。

まあ、私の性格のわるさではあるだろうけど、でも人間だもの、欲があって当たり前だよねって開き直ったり。

みんなそれぞれ完璧になることなんてなくって、ひとつ乗り越えたと思ったらまた新たな課題が出てきて。

だから、みんな不完全なまんま。

そうであるなら、自分も人も裁かないで、そのまんまを受け止めて、一緒にやっていければいい。

ツインレイに限らず、生きてる人間同士は本当はそれが理想な気がする。













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