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連休とか家族とか

好きな男に家庭がある身にとって、連休とか年末年始は、ホント、つらい。

つらいとか思うような立場にないじゃん、そもそも付き合ってもないんだし、って言われればその通りなのだけど、でも、やっぱり、つらい。

家族といるんだなあ、いいお父さんをやってるんだろうなあ、って思うと、自分のことは棚に上げて、やっぱり、複雑。

私はそれくらい、人間が、小さい。


去年のゴールデンウイークは、めちゃくちゃつらかった。

彼がお家で家族と一緒にいる、っていうのが、家族と過ごすっていう当たり前のことなのに、とにかく私にはつらく感じられた。

それに加えて、私自身、夫とも母親ともぎくしゃくしてる中、義父母や母親のことでやらなければならないことがいろいろあったり、とにかく夫といることが苦痛だったりで、表向きは淡々とこなしていたけれど、彼への思いと相まって、心の中ではとにかく早くこの連休が終わってほしかった。


でも、めちゃくちゃつらかったその連休を超えると、私はひとつ、夫とのことで、大きな大きな気付きを得た。

涙がぼろぼろ出て、ああ、私にこれを気付かせてくれるために、夫は今まで、これでもか、というぐらいに、情けない姿を私に見せつけてくれていたのかもしれない、とまで思った。

それからは、夫といる時間が、前より苦痛ではなくなってきた。

私が、気付きを得たから、私が夫を見る目が変わったのかもしれない。

そして、そのうちに、夫も変わってきた、気がする。


人を変えることはできない、とか、変われるのは自分だけ、なんて言葉をよく聞くけれど、本当にそうだなあ、って思った。

この人、何でこうなんだろう
何でこんなことするんだろう
もっとこうすればいいのに

そう思って、私が夫に言ったり、行動したりしたことは、夫に、何ひとつ響かなかった。

こんなに私考えてるのに、やってるのに、何で聞こうともしないの、って、私は気持ちの持って行き場がなくって、この10年程はそんなことばっかりで、だから私は、夫といても孤独だったんだと思う。

でも、夫は夫であって、夫のペースでの学びがあるだけで、私が心配する必要は本来、何もなかった。

こうすればいい、とか、せめてこれくらいは、とか感じるのは、私の身勝手。

私の思いや働きに見合うくらいの男になれ、と押し付けているだけだったのかもしれなかった。

そりゃあ、夫だって、聞く耳を持たないだろうな、って思ったし、私は自分を反省した。


人は人。

夫婦とか子供とか、どんなに近く思える相手であっても、人は人。

人の学びは人の学びで、その人が乗り越えてゆくべきもの。

私ができるのは、ただ、その人を信じること。この人は学べる人だ、自分のペースでちゃんと進んでいける人だ、って。

愛をもって、ただ、信じていればいいだけなんだ、って今は思う。


子供も同じ。

この子はこの子。

ちゃんと学んで、輝かしい未来へと進んで行ける。

私以上に、自分の人生をしっかり見つけて歩んでいける子。

だからもう、私がいなくても大丈夫。


そうであってほしい、とか、そう信じなくちゃ、とかではなくて、今、私は心から、そう信じられる。

だから、そうなるようになっているんだろう。

いつか娘が結婚とかする時、結婚相手に
「うちの母親、50過ぎてから離婚してさ、今、一回り年下の男と再婚してんの」
なんて、愉しげに話してくれたら。

なんか、ぶっとんだ、かっこいい母親じゃん、って、私は私をクールに思う。

それは、ぞくぞくするほどわくわくする未来だ。



今年の連休も、やっぱりつらいと思う。
去年ほどではないにしても。

でも、目の前のことに向き合っていれば、愛をもってあり続ければ、そこにはきっと、学びがあって気付きがあって、私は成長できている。

それは全て、彼への愛へとつながってゆく。




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