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映画 『ドッグヴィル Dogville』

(今回も ネタバレを含んでおります。ご注意ください。)

いつもの如く、前情報なしで見始めてびっくりした。

こんな映画見たことない!

約3時間に及ぶ映画。9つの章に分かれていて それぞれにしっかりと タイトルがついている。そして 小説を読むように ナレーションベースで物語が進んでいく。ただ そういう映画はいくつもある。なので それだけでは驚かないのだが、この映画の何が特別かというと、建物のセットが一切ないのだ。大きなスタジオに白い線でそれぞれの住宅の区画が仕切られ 通りの名前が書かれている。登場人物がドアを開ける動きは全てパントマイムで行われ その動きのタイミングに合わせてドアが開く音が聞こえたりする。それでは 舞台に近いのかというと そういうことでもない。舞台の場合は セットの転換があるので、フォーカスを当てたい人物しか登場しない時間帯がある。しかし、この映画の場合は ただただ建物の壁がない状態。セットが変わるのではなく 人物の位置が変わるのだ。

といっても、この映画をまだ見たことがない人にとっては なかなか想像がしづらいと思う。例えば、主人公が 眠っているシーン。通常の映画では 主人公が眠っている間に 他の人物の行動が見えることはない。が、この映画では 壁がない分 全てが見えてしまうのだ。
中でも印象的なのは レイプシーン。そんな場面までも 他の住人の生活とともに描かれている。同じ画角の中で 子どもたちが笑っていたりする。それが異常に怖い。

この映画を撮る上で 壁をなくす必要があったのかどうか。少なくとも 私にはこの街の閉塞感、異常な連帯感などを感じる上で とても効果的だったように思う。

どうしてもこういう奇抜な演出をしてしまうと そっちの方に意識が行ってしまうが お話自体もとても面白かった。

DOGVILLEという街の名前。その名前に意味があったということが最後にわかる。

そもそもの始まりは 父親と娘の意見の相違。
「許すことは傲慢なことだ」という父親と 「許さないことは傲慢なことだ」という娘。
分かり合えない相手に対して ムカついたり悲しくなったりすることは誰にでもある。その時に「自分を理解できない相手と縁を切る」のか「自分を変えることによって 相手とわかり合おうとする」のか。
もっといえば、「鳴かぬなら殺してしまえホトトギス」なのか「鳴かぬなら鳴かせてみようホトトギス」なのか。最も 彼女の場合は 「鳴かぬなら犠牲になろうホトトギス」に近かったかもしれない。

本能のままに生きる動物を 生かすのか殺すのか。
この世の中では 娘側の意見ばかりが見受けられる。
私も日々 娘側の意見でいられるように心がけているぐらいだ。
しかし、この映画を見ると その考えが一瞬でも揺らぐかもしれない。

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