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映画 『チョコレート ドーナツ (Any Day Now)』

自分と両親、配偶者、子どもとの関係は 一親等。自分と祖父母、兄弟との関係は二親等。自分と甥や姪との関係は三親等。この数字が小さいほど自分と親密な人ということになる。あとは赤の他人だ。

人と人との結びつきの強さは必ずしもこの数字だけで表すことができるのだろうか。

1979年。主人公のルディは ドラァグクイーンとして リップシンクをしてお金を稼いでいる。本当は 歌手になることを夢見ているが お金と時間がなく、一歩を踏み出せずにいる。そんな折、検察官のポールと出会う。ポールは 世間体を気にするあまり、ルディの存在や自分のセクシャリティーを隠すようにして生きていた。
ある日、ルディと同じアパートに住む女性が 違法薬物所持で逮捕され、3年間の実刑判決を受けることとなった。彼女にはマルコという息子がいた。彼は母親からまっとうな愛情を受けずに育った上、障害を持っている。施設に行けば 不当な扱いを受けるであろうと危惧したルディは ポールの協力のもと、なんとか法的に マルコの養育権を得ようとする。しかし、70年代後半は ゲイのカップルに対して あまりにも厳しい。

さて、この映画の原題は 『Any Day Now』であり、これは ルディが 映画のエンディングで圧巻のパフォーマンスをしながら歌う 『I Shall Be Released』(Bob Dylanのカバー)の 中で 印象的に出てくる歌詞である。『近いうちに』といった意味合いの言葉だ。

それに対し 邦題は 『チョコレート ドーナツ』。チョコレート ドーナツは、マルコの大好物である。何故 タイトルが大きく変わったのかなと思ったが、おそらく答えは 日本版のキャッチコピーにあるのだと思う。
「僕たちは 忘れない。ぽっかりと空いた心の穴が愛で満たされた日々ー。」
おそらく「心の穴」を 「ドーナツの穴」と かけているのだろう。お上手!である。こちらのキャッチコピーは 日本版独自のものである。

今から40年近く前は セクシャリティーへの捉え方が今とまったく違う。もっと閉鎖的でもっと孤独感が強かったものなのだと思う。当時はもちろん同性婚など認められていない。ドーナツのように 穴が空いてしまった心を埋めるのは 数字では表せない関係の誰かだったのだ。

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