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Netflix 『FOLLOWERS』

経験してからわかることというのはたくさんある。

私は普段 歌を歌う仕事をしている。
「仕事で歌う」というのは 「趣味で歌う」のとは 意味合いが違う。
もちろん 楽しいことには変わりがないのだが。

「仕事」の時には、必ず聞いている人がいる。
そして、成功することが前提である。
さらに 一番重要なこととして、「仕事」をしている風に見せてはいけない。

「一生懸命歌っている」「難しい歌を歌っている」「頑張って歌っている」
そう思わせたら負けの世界である。

なので いつでもみっちりと練習をするのだ。

これは なかなか伝わりづらい感覚だろうと思う。

練習していることを見せないように練習するというのは
なかなかどうして夢がない。

ディズニーランドの 昼のパレードを例にとってみる。

ディズニーキャラクターが総動員され、電飾がたくさん使われている夜のパレードに対して、
昼のパレードは ダンサーの皆様のパフォーマンスこそが 主軸となっている。

ここで私が考えてしまうことというと、
まず、ディズニーランドのダンサーになるために
彼らがどれほどの努力をしてきたのだろうか、ということ。
そして そのポジションをキープするために
今 どれほどの努力をしているのだろうか、ということ。
そして うっかり涙してしまうのである。

ダンサーの皆様はもちろん そんな素振りを見せていない。
彼らは 夢を与えている。
「あんな風にパフォーマンスしたい」と 思っている子どもたちはたくさんいるだろうし、私もそう思っている子どもだった。
大人なのに 泣いている私は 側から見たら 相当情熱的なディズニーマニアに認定されているだろう。

しかし、もしも 私が コスチュームデザインの仕事をしていたら、
そのコスチュームを見て 涙するだろうし、
私が 電球を作る仕事をしていたら、
夜のパレードに使われている電飾を見つめて涙するだろう。

そうやって、人は 自分の経験したことに対して
圧倒的な愛着を持ち 自分以外のものに 自分の経験を重ねるのだろう。
ひょっとしたら そんなことの積み重ねを 「大人になる」というのではないだろうか。

さて、今回の 『Followers』
21歳のなつめと、38歳のリミ。
両方の世界が進んでいく。

前半は 主になつめの周りの世界。
後半は 主にリミの周りの世界。
どちらも このドラマを作っていく上で大事なのだが、
私が20代前半の頃なら恐らく、なつめの周りの出来事により親近感を覚えて
「SNS」について共感したり 一歩を踏み出す活力の大事さに 感化されたりしたのかなと思う。

今の年齢になると リミの周りの出来事の方が圧倒的に身近に感じる。
女性が働き続けること、病気になること、子どもを産むこと、とか。
20代前半では 想像もしなかった世界かもしれないし、
もしかしたら こちら側の部分は 面白くないと感じたかもしれない。

自分が リミに近い年齢になったからこそ、
なつめの世界も リミの世界も 両方楽しんで見ることができた。

若い頃に見た 映画やドラマを 今の自分が見返したら また違うものが見えるかもしれない。

「大人になる」のも 悪くない。

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