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映画 『紅の豚』

以前 『耳をすませば』についての記事を書いた時にもお話したが、私はジブリ映画をあまり見ないままに大人になってしまったので、『紅の豚』に関しても 今回が初見である。

お話の内容に関しては 謎が多いままのところがなんともいい。きっと映画を見た人全員が それぞれ何かを考えたことと思う。そういう意味で この映画は大人向けだろう。今回は あくまでも私が勝手に考えたことを綴ろうと思う (いつも通り)。

謎: マルコがポルコになった件について。
ポルコ自身は この謎について問われた時「さぁな」と答えている。
ジーナは 「どうやったら あなたにかけられた魔法が解けるのかしらね」と言う。
フィオは キスで人間に戻れるんじゃないかと考え、「私がキスしてみようか?」と提案する。

この謎については 映画内で答えが出てこない。
『イグアナの娘』という漫画があったが、その漫画では 主人公の目には自分の姿がイグアナに見え、その他の人物(主人公の母親を除く)の目には 普通の女の子に見えるという設定になっていた。『紅の豚』の場合は、初めて会う 観光船のお姉さんたちにも「豚さーん」と呼ばれていたりしたので、どうやら 誰から見ても豚の姿に見えるようだ。

ポルコは イタリア空軍に戻る機会がありながらも 賞金稼ぎとして生きていくことを選び「ファシストになるより豚の方がマシさ」と言う。
もしかしたら この「豚」というのは 「アウトローな存在」のことなのかもしれない。それで言ったら私も「豚」である。自分の意と反することに従って生き、大切な仲間を失う人生よりも 「豚」でいることを選んだポルコ。小さい頃からの音楽に対する夢を捨てきれず「豚」でいることを選んだ私。

私の人生は ある時まで非常に平凡で普通だった。だが、大学卒業後に就職ではなく 音楽留学に行かせてもらうことが決まった時点で 私は「豚」になった。帰国後も 私はずっと「豚」である。同い年の友だちは みんな ボーナスをもらいながら週休2日で働いたり 家庭を築いたりしているが、私は いまだに歩合給で いくつもの仕事を掛け持ちしながら生きている。

「飛ばない豚はただの豚だ」というあまりにも有名なセリフがあるが、これは 我々「豚」には 非常に重たく突き刺さる言葉である。「音楽家として生きている」と 自称することは簡単だが 実際に「音楽家として生きていく」ことは 本当に難しい。

しかし残念ながら この「豚」=「アウトローな存在」という解釈では 勝負の前日に弾丸を選別する姿が ポルコからマルコに変わっているシーンについての 説明がつかないのでやはり 謎は謎のままなのである。

他にも ジーナとポルコのその後に関する謎などあるが、答えを想像する余地が与えられているのは とてもロマンチックなので このままにしておこうと思う。

ポルコの豪快な笑い方と サングラスがとても良い。

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