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10代を終えようとしているシタンダリンタが放つ、渾身の恋愛映画『【Amour】アムール』は照れと恥ずかしさに満ちた自信作

15歳という若さでの制作にして国際映画祭にて受賞も飾った長編映画『或いは。』の高木もえ×四反田凜太によるタッグで贈る渾身のラブストーリー『【Amour】アムール 』は、この秋に20歳を迎えようとしている映画監督・シタンダリンタの最新作だ。これまでも『どこからともなく(2020)』『もしや不愉快な少女(2020)』『ミス・サムタイム(2023)』『ぼくならいつもここだよ(公開前)』など数々の作品でティーン世代の恋と友情などを描いてきた彼が、このたび初めて恋"だけ"を主軸にした渾身のラブストーリーに挑んだ。10代(1人だけ20代)の少年少女の、結婚と離婚と再婚に渦巻く不穏な影。それは彼にとって、照れと恥ずかしさに満ちた自信作のようだ。(編集部)

若者特有の普遍的な鬱屈と葛藤を時代の空気を込めて表現する、19歳の映画監督・シタンダリンタ

ーーこれまでの監督作品ともまた印象が異なる新機軸とも言えそうですが、ご自身での手応えはいかがでしょうか?

シタンダ監督 パッと見はこれまでの作品と同じく、映画にするにはあまりにも小さい感情についての映画なんですけど、今回はそれと、映画の空気というか、なんというかムードが、絶妙に噛み合ってなくて。けどそれは悪い意味じゃなくて、すごく不思議な感触の映画になった気がしていて、すごく自信作なんです。なんだかこれまで撮ったことないタイプの映画が撮れちゃったんじゃないかな、という。

ーー確かに一見これまでのシタンダカラーも全開な印象ですが、なんだか全体通してしっかり噛み締めてみると読後感や後味が少し違いますよね。

シタンダ監督 そうなんです(笑)。だから僕もすごく不思議な感じで。僕的にこれは良い意味で捉えてることなんですが、なんというか、映画があんまり纏まってないんですよね。

ーーこれまでの作品、特に近作『ぼくならいつもここだよ(9月公開)』はもう職人的に洗練された圧倒的な映画作品という感じでしたが、今回は実験的なくらいフワフワしてる印象です。

シタンダ監督 元々この映画は『ぼくならいつもここだよ』の後に出す予定だったんです。でも『ぼくならいつもここだよ』が10代終わるギリギリに公開することになって、なんとなく年齢へのこだわりだけではないけど、10代のうちに撮ったものは10代のうちに出したいなと思っていたので、必然的に入れ替わることになりました。おかげで仕上げが本当に間に合うかキワキワだった(笑)。個人的にこの作品を『ぼくならいつもここだよ』より前に出すのはちょっと悩んだんですけど、最終的にはまぁもうどうでも良いか、面白い作品撮ったつもりだし一刻も早く見てもらいたいしな、みたいな気持ちで公開スケジュールにGOを出しました。

ーーどうして今作は『ぼくならいつもここだよ』より前に公開することを悩んだのですか?

シタンダ監督 ちょっと今作はある意味カウンター的な作品だからです。どうしても僕はこれまでもこれからも、作品を作る上で、「この作品で初めて僕の作品を見る」という人のことを気にしてしまって。いつもある種の守りというかそういうものを気にしちゃってたんです。でもこの映画は、そういうことは敢えて無視して、自分が楽しめるものを作ろうと思って。そういう意味で、初めてのシタンダ作品として見られてもドキドキしないモノを、ということを念頭に作った『ぼくならいつもここだよ』よりも先に出すのは悩みました。今思うと、稚拙な悩みですよね。

ーーご本人はそう仰りますが、私の感想としては純然たるシタンダ作品、シタンダ作品すぎるシタンダ作品だと思いました。

シタンダ監督 そうなんですよね結局同じ人間が作ってるんだからそうなりますよね。楽しんでもらえてたらそれで十分です。結局そういうのって自己満足ですからね、誠実に面白いと思えるものを作ることだよなやっぱり、って今回の制作で改めて気付かされました。あと今もね。

10代ラストイヤーには、3ヶ月連続新作の公開が相次ぐシタンダリンタ監督。

ーーさて、そんなシタンダ監督の現時点での最新作となるのが『【Amour】アムール』ですが、シタンダ作品は毎回どこに着地するかの分からなさが作品の特徴でもあると思ってまして、今回は本当に全く着地点が読めないまま見続けていました。

シタンダ監督 今回、まず何も考えずにキャラクターだけ作って、本当にゼロの状態でプロットに入ってみたんです。ラブストーリーを真っ向からやろうという企画なので、もうストーリーの流れとか考えずに、一つの恋がどういう道筋を辿るのか、ただただそれを見届けてみようと思って。それで書いた流れと、完成した実際の作品はほとんど何も変わっていません。そういう意味で、何かの結末に向かってストーリーを作ったわけでもないですので、ずっと何が起きるんだろう、って本当に人の恋バナを聞いてるみたいな感じで進められたと思っています。

ーーそもそも何故今回はラブストーリーに真っ向から挑戦しようと思ったのですか?

シタンダ監督 これまでの作品でもどれも、どこかラブ要素、恋愛要素はあったんです。だからラブストーリーを初めて書いたわけではなくて。それこそデビュー作の『或いは。』もそうだし、それ以降の作品にも全部、恋愛が何か大小問わずきっかけになっていたり根幹を揺るがしていたりしてます。けれど、いつもなんだか照れなのか恥ずかしさからなのか、ちょっと影に隠して書いていた節があって。それは時々近い人間からも指摘されてたんですが。今年の頭に『ミス・サムタイム(配信中)』という作品を公開して、全編めちゃくちゃ恋愛モノの装いをしてるんだけどやっぱり恋愛映画としては終わらなくて。恋愛映画、というものとはそういう距離感でずっと付き合ってきて。自分がこれまで書いた中で一番ラブ要素が前に出てるのは『或いは。』のつもりなんですが、あれもSFサスペンスコメディーというオブラートに包んで書いてましたし。ただ今回その『或いは。』のW主演で新作ということになって、じゃあ4年越しにオブラートに包まずラブストーリー書いてみませんか?今なら書けるでしょう?みたいな話になりまして。

ーー本当に今回、真っ向からの恋愛映画ですもんね(笑)

シタンダ監督 大体ぼく苦手なんですよ、ラブストーリー。観客として見たりするには全く抵抗ないし、好きなんですけど、どうしても自分で書こうと思うとすごく抵抗があって。自分の恋愛観がバレるというか、違うのにこうなんだと思われるのも嫌だし。照れてるんでしょうね単純に。僕個人がそんなにあれこれ恋したり恋愛したりなタイプでもないので、単純に経験不足だし色々と(笑)。けど、いつまでも書かないのもあれだし、書くのに抵抗はあるけど、逆に言うとその照れとか恥ずかしさみたいなものを武器にしちゃえば、良い塩梅で書けるんじゃないかなっていう気も少ししたりしていて。

ーーそんな渾身のラブストーリーですが、何故それが未成年の結婚や離婚という題材になったんですか。

シタンダ監督 まず初めに制約を決めようと思って。ラブストーリーって言っても色々あるし、ちょっと近年のトレンドにもなっている単純に二人が出会って付き合って別れてみたいなこと高い純度で描く系の作品も自分にはちょっと違うなって気がしてたので。かと言って、もうただただ楽しいラブコメ書いてて楽しくないだろうし(笑)、じゃあ叶わない恋の話を書こうと思って。好きなんですよ叶わない恋。いっつもそれ書いてる。で、じゃあ叶わない恋を書くなら、叶わない恋をそのまま書くのも洒落っ気がないので、結婚というある種の叶った恋を通して、叶わない恋を描くという制約を定めてみました。それに、一言で説明できる何かを、と言われていたので、18歳の少年少女の結婚と離婚と再婚の物語です、ってどこかキャッチーだし見てみたくなるなぁと思って。じゃあそれで、ってそれだけを決めて進めました。

ーー個人的な感想ですが、ラブストーリーと銘打ってるのにやっぱり今作も"孤独”についての作品でしたね。

シタンダ監督 癖なんですかね。やっぱりそうなっちゃいましたね。まぁ叶わない恋の話だからそうなるんだろうなぁ、とは思ってんだけど、さっき言ったように本当に何も考えずキャラクターだけきっちり決めて、それであとはそのキャラクターたちが動くのを待ってひたすら、真実というか、嘘じゃないことを書くことだけをしていて。ちゃんと一つの恋の行く末だけに定めてみたんです。そしたら、孤独だった(笑)。

ーー今回は言葉を選ばず言わせていただくと、"周りにメンヘラだとか言われてしまう人たちへの愛の讃歌"な映画ですね。

シタンダ監督 おぉ〜、言葉選ばないですね大丈夫ですか(笑)。でも代弁していただいてありがとうございます。そうですね、主人公の一人である九ふうか(いちじくふうか)は典型的なメンヘラだと言われちゃうタイプの人ですね。

ーーそのあたりが意外でした。なんだかあっさりした作品だと思っていたので、かなりコテコテな作品だなと。

シタンダ監督 今回なんとなくのテーマだけ決めて挑んだんですけど、書いてくうちに全体像が見えてきて、それからもう一度書き直してちゃんと仕上げまして。その最初に書いていくうちに、主人公の悩みというか葛藤がどんどん湧き出てきて、それがもう側から見ればただのメンヘラで。人によってはすごく拒否感も出るような。でも、それがおそらく真実だし。じゃあもうしっかり描きましょう、と思いました。

ーー冒頭に、主人公二人のそれぞれの友達二人と、四人でパーティーをするシーンなどがあって、その友達二人(未玖•伊東)がシタンダ作品に度々登場する、信頼できて一番気を許せるけど、直接物語には噛んでこない、逃げ場的な位置のキャラだと思いました。けど、そこから物語が進んでいくのに一向に姿を見せなくて、あれ、と思っていたら、後半になって二人がすごい部分で物語に噛んできて、そのはっきりした立ち位置が、なるほど、となりました!

シタンダ監督 そんな興奮してくれて嬉しいですありがとうございます。元々三谷知恵が演じる未玖の方はいたんですが、長谷川悠が演じる伊東は最初のプロットにはなくて。けど、えっとどうしようどこまでネタバレして良いんだろ。まぁとにかく、中盤以降、あの位置のキャラが絶対に必要になってくるなと思って。そういう意味で、主人公•鈴木君の友達として伊東を配置しました。あの展開は必然だと思います。

ーー前半は主に高木もえさん演じるふうかの喪失と愛についての少し深度のある物語ですが、後半にかけては四反田凜太さん演じる鈴木のもっとピュアで無垢な恋の物語になっていきますね。

シタンダ監督 最初に読んだスタッフが、これ絶対逆の構成の方がグッと締まりそうなのにどう考えてもこの構成じゃないとダメなのがちょっとクるね、って言ってて、笑っちゃったんですけど、ラブストーリーの本質は愛じゃなくて恋だなと思いました。

ーーラブストーリーの本質は愛じゃなくて恋、というのを詳しく教えていだけますか?

シタンダ監督 うーん、これは本当に個人的なスタイルだし違うって思う方も沢山いるとは思うんですが、愛って恋愛についてだけじゃなくて、もっと漠然としてると思うんです。けど、恋は、明確な恋愛的な視点というか。ラブストーリーと銘打って、家族愛や名前のない関係性の中で芽生える愛や、そういった類のことでなくて、本当にただただ好き、そういうライクではなくはっきりとラブの物語を書いていたので、その初めに遡った時に見えたのが、愛の視座じゃなくて、恋の視座だったんです。愛ゆえに、じゃなくて、恋ゆえに、という結論に辿り着いたというか。

ーーそれは鈴木サイドの物語のことですよね?

シタンダ監督 ですね。結婚って、おそらく恋だけで出来るものではなくて、生活とかいろんなものが絡んでくるじゃないですか。だからそこには恋を超越した、愛、みたいなものが見え隠れしてくると思うんですけど、結婚の物語を描くときに、愛をそのまま描くんじゃなくて、愛になる前の恋の瞬間みたいなものが物語を解決してしまう感じをやりたかったんです。

ーーなるほど。それはこの物語ではW主演でないと成立しない構造ですね。

シタンダ監督 そうなんですよね。ふうかサイドは割と愛についての結論で、鈴木サイドは恋についての結論。どちらも並行したままラストに滑り込みたかったので、その別々のベクトルの気持ちが同じ並びにつくまではクライマックスに行けなかったので大変でした。

シタンダリンタのフィルモグラフィーで重要な位置を担うであろう作品が完成した

ーー159分という尺で、描かれている物語の密度で言ってもぶっちぎりですよね。

シタンダ監督 自分でも言うのもなんだけど、本当に今回は内容が濃いなと思っています。中身が詰まっている、というより、起きる出来事の数が尋常じゃない。色々なことに振り回されて行きながら、その明確な答えも出なきゃ明確な着地点も出ないままラストへと走り抜けていくのはなかなかにソワソワしました。

ーー今年は他に2本の長編が発表されますが、群像劇としては今作だけですよね。

シタンダ監督 7月に公開された『ミス・サムタイム』も、9月に公開される『ぼくならいつもここだよ』も、どれだけ一人称な映画を作れるか、みたいなやり方で作ったところがあって。1人の人が夜中にナイーブになって、部屋でウジウジ考えを深めていってしまう感じをどれだけ映画に出来るかみたいな、そういう作り方をしていて。だからある意味映画的じゃない、不思議な味わいの作品が出来たなと思っているんですが、そればっかりをやりたいわけでもなくて。だからこの時期に、もえさんとW主演で、という話になって、W主演だし元々一人称じゃない映画にはなるんだろうから、だったらなるべく範囲を広げてその中で普遍性みたいなものを見出す作りにしたいな、と思いました。

ーー今作はシタンダ監督が「或いは。」を撮った中学時代の面々が主にキャスティングされています。

シタンダ監督 本当元を辿れば、「或いは。」を撮った後に、また高校卒業したタイミングで何かやろうね、って話してたらしくて。僕は全然覚えてないんですが(笑)。それが今回本当に実現した感じです。近年も現場に友達が手伝いに来てくれたり、キャスティングさせてもらったりはありましたが、ここまで企画からガッツリ友達たちとやったのは久しぶりで。今更そんなやり方をしてどうなのかなとかも正直思ったんですが、想像以上に身内ノリにもならず、不思議な新鮮さもあって、実に能動的だしシビアな現場でした

本作の執筆にはおよそ半年の期間を費やしたとのこと。

※ここから先は作品の結末に触れるネタバレを含みます。まだ本編をご覧になられてない方は、本編をご覧になられた後にお読みいただくことをお勧めいたします。

ーーではもう少し作品について踏み込んだことをお聞きしたいのですが、今回はシタンダ監督の近年の作品とは違い、ラストが台詞で終わらず表情で締めくくっていましたね。

シタンダ監督 そうなんですよね。そこが今回かなりドキドキした部分ではあります。いつも台詞で終わらせてたのは、そりゃ勿論意図があって、その台詞を言いたくて終わってたんですが、今回は何か明確な言葉で終わることは出来なくて、篠崎雅美さん演じる卜部先生のあの表情に賭けたところがあります。

ーーあそこまで明確な答えが出ずに、なんとなくこういうことが言いたいんだろうな、というのは分かるものの、こちらの価値観によって印象が変わるタイプのラストを、シタンダ作品で見るとは思いませんでした。

シタンダ監督 自分的には、全くフワフワしたラストという感慨はなくて、どちらかというとかなり明確なラストなのかな、とは思ってるんです。ただ、確かにあのラストを、いわゆるラストタイトルが出るまでの部分を、純粋な気持ちで見るか、斜に構えて見るか、でかなり印象が異なるのかなと思っています(笑)。

ーーシタンダ監督は、前作『ミス・サムタイム』でも人間関係におけるエモーショナルな部分を、エモーショナルにしないことで、また別のエモーションを生み出した印象だったのですが、今作もまさしくそうだと思いました。
 
シタンダ監督 この前東京から友達が見に来てくれたんですが、あのハグをするラストを見たときに、いやいや絶対にこんなところで終わるわけなかろうよ…ってハラハラしたって言ってました。それで、ただむしろそれも一つの狙いなのかな、と思っていたら、先生のあの顔に切り替わって、やっぱり!ってなったって言ってました(笑)。ある意味、エンドロールに入る直前のラストは、個人的にドライではあるな、と感じています。

ーー各媒体でも提示されている、「今書くならこういうことについて書きたかった」という言葉の「こういうこと」というのは具体的にどの部分なのでしょうか?

シタンダ監督 僕は学生時代からよく、恋バナをされる側だったんです。それで人の恋バナを聞いていて、いつも大体、なんやねんそれ、っていう読後感を感じていて。そういうのって、具体的なエピソードがなくても、なんか誰しも共感できる普遍的なところだと思うんです。あれだけ好き好き言ってたのに、もう良いの? とか。あれだけ別れる別れる言ってたのに、まだダラダラ付き合ってるの? とか。そういう部分って、自分自身だけでなく他人のことであっても、なんとなく皆さん分かる分かるって頷いてくれる部分だと思うんです。そのことについて書きたくて。だからそういう意味で、映画としてのエモーショナルやダイナミックさを意識するなら、その感じはある種合わないと思うんですが、その"なんやねんそれ”感が直接映画としてのエモーショナルに直結する映画を書きたかったんです。

ーー何故そのようなタイプのラブストーリーを作ろうと思ったのですか?

シタンダ監督 今作は一応恋愛活劇と銘打ってるのでラブストーリーについて言いますが、恋愛映画を作る上で、観客の人がその好意、または恋の諦め・終わりについて納得することが一つの絶対ラインになってる気がしていて。好意については、そりゃ好きになるよ、と思わせないといけないし、恋を終えるなら、そりゃ終えても無理はないよ、と思わせないといけないし。でも実際人の恋バナを聞いていて、その人のどこが良いの、って思うことってよくあるじゃないですか(笑)。逆に言えば、そんな良い人いるのになんであっち行くの? とか。恋愛映画について、そういう視座はキャラクターの中にあっても大体最後はちゃんと誰もがその恋について納得するという部分に着地される。それはある意味映画を撮る上で大事なことだとは思うんですが、そうじゃない恋愛映画を作りたかった。ただそれをやるだけやると、本当に共感できない他人事すぎる映画が完成してしまうので、ラストに先生という大人の立場を置くことで、しっかり観客の皆さんに近い、外側の感想というか、そういうものが物語を覆って終わる作品には出来たら良いなと思ってました。

ーー秋山咲紀子さん演じる乎悠ちゃんが、確実に何か事件を起こす後半パートだと思っていたら、一番早くあっさりと退場したのが、絶対に他の映画では見ない構成だったので、すごく面白かったです。

シタンダ監督 むしろそう見せるのに必死でした。こいつが絶対物語をかき乱すだろうな感、を満載にしていく中盤というか(笑)。ちょっと作為的すぎたかなとも思うくらい。でもパターンは多分違うかもしれないけど、ある意味では、さっきお話したみたいに、あれだけ好き好き言ってたのにもう良いの⁉︎ をやりたかったキャラクターというか。そんな乎悠を見ることで、鈴木くんが自分の立ち方を不安になるという展開含め、個人的にはかなり好きな展開です。

ーー終盤の鈴木・凪・伊東の3人が朝まで話すところが、異様なくらいダラダラ進むので、何が起こるかドキドキしていました。

シタンダ監督 どういう経緯で、失恋した3人がもう恋愛どうでも良いかも、ってなっていくか、は一晩使って丁寧に丁寧に描きたかったんです。それでもうだいぶその方向に話も進んでいって、溜めて溜めてのふうかからの電話、からのレッツゴー、が一番"なんやねんそれ”感が溢れるかなと思いました。

ーーかたひら純が突然亡くなるという展開はどのような意図だったのでしょうか?

シタンダ監督 ふうかがずっと鈴木に向けてしまっていた、喪失感の押し付け、みたいなものがふうかに返ってくるというのをやりたかったんです。言葉を選ばず言うので最大限の想像力のもと聞いていただきたいのですが、人が亡くなった、とか、そういうことを言われると、何も言えない感あるじゃないですか。嫌な言い方をしたら、無敵感というか。それをふうかは鈴木にずっと向けてたんだと思うんですが、それをかたひら純という好きなミュージシャンが亡くなったことで、持田から逆に向けられる。まぁそれで反省も何もしないと思うし、別に反省しなくて良いことだとは思うんですが、そういうシーンを書きたかったんです。その後、ふうかが鈴木に会いたくなったのは、単純にこんな気持ちにさせてたのか、っていう後悔ゆえなのか、一人になって寂しくなったからなのか、そこは僕の中でも明確に答えが出ていないのが正直なところです。ここまで作り手側が語るのも違うのかもしれないけど。

ーー本当に他の作品ではあまり見ないような描写、それも一つのシーンってわけではなく、描写の重ね方、展開の持って行き方、そんな部分にこっそりとした独自性が詰め込まれていた気がしています。

シタンダ監督 ありがとうございます。前作の『ミス・サムタイム』でも同じことを気にしたんですが、映画におけるリアリティーラインについては最近すごく良く考えます。作り手側のご都合主義な展開に見える展開でも、よく考えてみれば実際の日常本当にそういうことあるもんね、みたいな。それこそかたひら純が亡くなる展開なんかも、やり方によってはただ持田を退場させたかっただけにも見えないことはないし、乎悠ちゃんがYouTuberの元カレに戻るのもご都合主義な展開に見えないことはない。それは『ミス・サムタイム』で、全然予定が合わなくてやっと予定があったのに小さめの地震が起きて会えなくなる、っていう展開を書いたのと同じ感覚で。作者の都合で書いてそうなちょっと突飛な展開でも、実際の現実で、うそだろ、ってくらい突飛なことが起きたりする。そこはちゃんと、ご都合主義に見えないような、その展開そのものがちゃんと意味を持てるような、そういう書き方を出来るなら意欲的にやっていきたいな、と感じています。今作もそこはすごく意識しました。ちょっと恋愛映画がどうって話とはズレましたけど。

ーーいよいよ上映も終了しますが、おそらくここまで読んでくださってる方はもうすでに作品をご覧になられた後の方だと思うので、そんな皆様に向けて最後に何かメッセージをお願いします。

シタンダ監督 今回も反応に困る作品をすみませんでした(笑)。けど少なくとも自分的には、かなり気に入っていて、自分にしか撮れないものが撮れたんじゃないかな、とかなり自意識過剰な自己評価をしています。今回は個人的に反応が良いな、と感じています。もうここ4~5年は作品を創って発表して、というのを続けているのですが、ちょっとくらいは分かるようになってきて。ここ最近では一番お客さんの反応が良いと感じています。ただそれは僕が感じただけなので、それこそ都合の良い解釈でもあると思うのですが、是非皆さんがこの作品をご覧になられて、どう感じたか、会場にまた来てくださっても嬉しいですし、SNSなんかでも、いろんなところで聞かせてもらえたらと思います。この度は本当にありがとうございました。ございます、の方が良いかな。まだギリ終わりじゃないもんね。

企画・監督・脚本・編集/シタンダリンタ 出演/高木もえ、四反田凜太、西﨑達磨、秋山咲紀子、築地美音、長谷川悠、三谷知恵 他 音楽/megumi otsubo 制作・プロデュース/Rinta Shitanda's New Play/2023年/カラー/アメリカンビスタ/159分/@2023『【Amour】アムール 』8月20日(日)~27日(日)上映中

photo:bibi nakao

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