見出し画像

19歳の映画監督シタンダリンタが明かす創作との距離感、最新作は描きたくなかったテーマに真正面から挑戦した意欲的な一作。

『或いは。』(19年)、『どこからともなく』(20年)、『もしや不愉快な少女』(20年)、『Amourアムール』(23年)など、これまで様々な角度から10代の生き様を描いてきた19歳の映画監督•シタンダリンタ。最新作『ぼくならいつもここだよ』は、"安定"と"不安定"の狭間で揺れ動く少年のナイーブでセンチメンタルな友情にまつわる物語。様々な思いを抱きながら、初めて"男子たちのコミュニティー"について真正面から挑戦したという今作は、これまでの作品とは一味違った印象のストーリー展開ながら、シタンダ監督らしさ全開の映像センスで駆け抜けていく2時間越えの大作。このインタビューではその制作について本人に聞いてみた。

シタンダリンタ(19)

最新作はある"違和感"から生まれた作品


ーー最新作『ぼくならいつもここだよ』を完成させて、今はどのような感慨をお持ちですか?
「かなり長い時間をかけて制作した作品なので、やっとここまで来たんだな、っていうありきたりな感慨です。勿論これから公開されて、皆さんの元に届くので、そこが一番大事なところではあるんですけど、この作品がまず無事に一つの形となったことが嬉しいです」

ーー初めに遡ってお話をお伺いしたいのですが、企画がスタートしたのはいつ頃だったのでしょうか?
「2020年の夏頃だったと思います。丁度その頃『もしや不愉快な少女』の撮影をしていた時期で、来年のこの時期は何をしようかっていう話になって、その時に新しい長編映画の企画としてお馴染み"きのめぐプロデューサー"に提案しました」

ーーその時はどんな反応だったんですか?
「彼女はまぁ言っちゃえばただの友達なんですけど、デビュー作の『或いは。』もそうだし、それ以前のもうただ撮ってただけの学生時代からの仲ですし、自分が作る映画作品とかに対して、感覚が近いというか、同じ言語を話す感じというか、そういう信頼できる存在なので、ずっと企画についての話とかは世間話程度にしていました。彼女の反応としては、すごく良くて、なんだったら撮影中の『もしや不愉快な少女』よりも好きかも、みたいな(笑)。それで、今回制作をサポートしてくださったソニーミュージックの製作陣にも企画を提案しました」

ーー個人的にはシタンダリンタ作品らしさとらしくなさみたいなものの中間を攻めてくるのがいつもシタンダリンタ作品という感覚なのですが、今作は特に絶妙な新鮮さを提示されたという印象です。
「この作品の根底に流れるテーマというか、まぁ言っちゃえば"恋愛とかじゃない意味での好意"みたいなものを極端に"友情"として描くというものはもっと数年前からじんわり自分の中にあって、それで丁度あの夏に個人的に色々友達とのことで感じることがあって、…かと言って別にこの映画みたいなことがあったわけでは断じてないんですが!(笑)、なんとなく今なら書けるかもって思いました」

ーープレスリリースのシタンダ監督のコメントにも記載されていた『誰かのことを好き、とか、誰かのことを好きだけど誰かのことも好きになってしまった、とか、誰かのこと好きだったけど何故か少し違った気分になってきた、とかそういった人間と人間の間に流れる"好意"の感情を作品にしようとすると大体がまずは"男女間の恋愛"を通してで、それが男性同士女性同士だとまた"同性愛"として提示される節があります。僕は常々そこに違和感を感じてました』という言葉が強烈に残りました。
「まぁこれはもうそのままなんですけど、勿論男女間の恋愛でも同性同士の恋愛でも好意というものは描けると思うし、そこを通して描くものに大切なことも沢山あるとは思うんですけど、何故いつも恋とか愛とかになってしまうのか違和感があって。また、恋愛という枠に収まりきらない関係を描いた作品は近年増えていてそれも勿論素晴らしくて、大好きなんですが、枠に収まらない関係じゃなくて、もう既に"友情”という枠に収まった関係性の中で、恋愛作品と同等の"好意"の物語を描くことは出来ないかな、っていう」

ーーそういったことを今作では提示しようとしていたわけですね?
「そうですね、自分ならそれを上手く書けるんじゃないかなっていう謎の自信が芽生えていました(笑)。それと、友情物語というカテゴリーの作品を初めて手掛けたんですが、これまでも友情がキーになってくる作品はやってきましたが、本気でこうやって友情について問いかける作品はなかったので、今回は少し新鮮でした。けれど色々企画を揉んでいくうちに、友情というものを信じる作品じゃなくて、友情なんてくだらない、みたいな価値観の映画にはなったので、そういった意味では、自分しか作れないものを作れたんじゃないかという感覚がすごくあります(笑)」

ーー確かに今作で提示される友情というものは他の作品よりも少し捻くれているというか(笑)
「いやいやそうなんですよ。いつも作品を創る時に思うのは、卑屈になってる人のことを書きたいっていう。そこまで誰かのことを想像して書くタイプではないんですが、やっぱり書く時にこの作品を見る人のその様子を想像してしまうことはあって、その時に、寂しい何かを感じてる人とか、なんで自分はこんななんだ、とか思ったりしてる人に届けたいっていう思いもありつつ、一番あるのは、卑屈になってる人に届けたいみたいな」

ーーそう言われてみると、シタンダ作品っていつも主人公はどこか卑屈になってますよね。
「卑屈になってる人のことを書いた作品なんて世の中に沢山あるし、なんだったらどの作品にも卑屈さみたいなものはあるとは思うんですが、人って何か自分の心が揺れる出来事があった時に、物語とかで書かれてる以上にとんでもないルートでいろんなところに揺れて、心の中で負の旅をしてる気がしていて、なるべくそこを他の作品以上にしっかり書きたいなと思います。そこまで考えちゃうことを書かなくても良いじゃんって思うところまで書きたいというか。例えば今作だと、主人公が主に一ノ瀬へ後半抱く感情はほぼ卑屈さの究極みたいな感じだと思うんですよね」

ーー今作は特にそうでしたが、物語的に気持ち良い進め方よりも、生活に近いというかリアルなきっかけ描写みたいなものが印象的で、例えば中盤で主人公が小説を書こうと決めるきっかけであったりだとか。
「うわぁ、そこ指摘してくださるの嬉しいです。僕の中でここはネタバレじゃないこととして話しますが、小説家を目指しながら小説を書き切ったことがない主人公が、自分のこういう友情関係についての気持ちを小説に書いてみようとするけど、上手く書けなくて…みたいなシーンは絶対に描こうと思っていて、それを描こうとは決めてましたけどこんなに友情にまつわるいろんなシーンが混在する映画でどのエピソードでそう決断するかは決めていなくて、色々練っていくうちに、何か友情についての特別なきっかけがあって書くんじゃなくて、好きな作家がそういう書き方をしたっていう記事を見て、それなら自分でも書けるかもって勝手に浮かれちゃうというか、自分の友情に対する負の感情をちょっと利用しちゃうというか、まぁ、悲劇のヒロイン的になった気になるみたいな、そういう描き方がもしかしたら適切かもって思ってああいう流れに踏み込みました。本当はね、喧嘩したり、何か大きな友情にまつわるきっかけがあって、もう無我夢中で描き始める、みたいな方がドラマチックなんでしょうけど、実際そんな一直線で進むようなものじゃないですからね人の生活って。その、ぐるぐるって違うルートを辿って何かに辿り着くみたいなことはやってみたかったんですよね」

ーー今作では主演のシタンダさんを支える準主演的二番手にシタンダ作品初参加の寄川歌太さんと光山叶倭さんを迎えておられました。
「単純にここは初めての人とやってみたいって思っていて、ソニーミュージックの担当さんに相談して、キャスティングをしていきました。歌太くんも光山くんも初めてとは思えないくらいすごくチームに馴染んでくれて、それでいてすごく新鮮な空気を現場というか、僕の作品に取り込んでくれたと思っています」

ーー今回の役についてどのようなやり取りをしましたか?
「実はそこまで深い話は何もせず現場に入りました。歌太くんとは会社で一回、それと外で一回お茶をした程度で、その時に色々かなりお互い個人的な話を沢山して、けどそれ程度です。光山くんに関しては、zoomとかで何度かやり取りした程度で、本当に一ノ瀬と晴の関係性のように、ほとんど何も知らずに現場に入りました。クランクインがカラオケのシーンで、逆にあんまり知らないちょっと緊張した空気が、良かったかもな、と思いました」

ーー初めてのお二人とかなり濃密な作品創りをされたと思いますが、いかがでしたか?
「本当に楽しかったです。二人もそうだし、今回は本当に初めましての人が沢山いたので、やっぱり多少は不安もあったんですけど、本当に奇跡みたいにいろんなパーツがハマったなって思っています。特に今回はこれまでの作品以上に人と人の関係性の希薄さみたいなもの、一見繋がってるんだけど本当は薄いかも? みたいなところの物語なので、そういう意味で、慣れた人たちとだけ撮るんじゃなくて、ちょっと不安なくらいの初めましての人たちと撮ったことがすごく良い効果になったと思っていて、ちょっと自分の想像を超えた感じはありますね」

右から、四反田凜太、寄川歌太、光山叶倭。

宝物みたいな作品を作りたい


ーー今作はシタンダ監督にとってどういった位置付けの作品になりましたか?
「近年やってきた作品群の中では1番ミニマムなものになったと思っています。キャスト数も多いし物語的にもかなり先へ行くのでそういう意味のミニマムさはないですが、映画の中の視点という意味では最もミニマムだと思います。1番近いのは2作前の「ミス・サムタイム」になるのかな。あんまりこういうこと言いたくないけど、あの作品が好きな人は好きだと思います(笑)」

ーーそれはどのような部分がでしょうか?
「今回は元々、主人公の加登晴くんの一人称で進むことは決めていて。だからこそあのラストというかクライマックスの部分が救いになると思ったんです。その円環構造を思いついてから、だったら映画館で見るにはちょっと映画的じゃなさすぎるくらいな前半部分にしてみようと思いました。モノローグもかなり喋るし、映像的にもずっとダイジェストみたいな感じがあって、なんとなく隙間とか余白がない感じの前半、そこからグッと映画的なムードを持ち始める後半、という構成はかなり気に入っています」

ーーたしかに物語的な引力というよりかは主人公のナイーブさをひたすら追ってるだけな感じはありますね。
「なんかすごく照れくさい言い方なんですけど、宝物みたいな映画を作りたいってずっと思っていて。それは単純に大好きな映画!これは棺桶にも入れたい!みたいなそういう意味じゃなくて。なんというか、味方みたいな。そうだな、味方っていうのが正しい言い方なのかもしれないですね」

ーー味方みたいな宝物、ですかね?
「それだ!やっと言語化できました(笑)。僕それこそ近年だと、ミア・ハンセンラブの『ベルイマン島にて』を見た時に、こういう作品を作りたい!というより、こういう味方さ、宝物さ、を持ちたいと思ったんです。『ベルイマン島にて』を見た時に、勿論映画館であと何回も見たい、とは思ったんですが、それ以上に部屋に置いておきたいと思ったんです。なんとなく、真夜中とか、ちょっと上手くいかなかった日とかに、サッと部屋で流しておきたいみたいな。それは単純にどんな時でも元気をもらえるとかじゃなくて、『ベルイマン島にて』を見た時に、ちょっと自意識過剰だけど、自分のことだ!と思ったんです。あれはモノを作る人にとっての創作にまつわる境界線の話だと捉えてるんですが、ピンポイントであの作品に救われる瞬間がきっとこの先幾度かあると感じたんです。その時に、ああこれは部屋にいてほしいと思いました」

ーーそういった作品に今作をしたかったということでしょうか?
「『ベルイマン島にて』を見たのは今作の撮影が終わった後なのでそれを見てそんな作品をつくったわけではないのですが。けど、本当にそんな風に思いましたね。映画館で知らない人たち同士で見て楽しめるものを作りたいというのは勿論ですが、作った作品の長い歴史を見据えた時に映画館で見る数は減っていく一方だと思うんです。今なんて簡単に円盤にもなるし配信も始まる。勿論そこを意識しまくるわけではないですが、そうなった時にちゃんと味方として、宝物としてその人の部屋にいられる存在になれたらとはすごく感じました」

ーー確かに今作で描かれてるテーマには、そっと部屋で寄り添っててほしい繊細さがありますよね。
「そんな風に言ってもらえると嬉しいです。広く沢山の方に楽しんでもらえる作品になったんじゃないかなと思ってる一方で、例えばこれを僕がお客さんとして見た時に、僕だけのために作ったのかな? と思えるくらいのものがちゃんと映せてるという自信だけはあるんです。なんか、うまく言語化できないからまたうまく言語化出来た時に呟こう、と思ってたツイートが先に別の人がうまく言語化してツイートしてるのを見つけて、これ!これが言いたかったの!ってなる感じというか。これ!これが言いたかったの!映画にはなったんじゃないかなと(笑)」

10代を終えるシタンダリンタの創作との距離感

ーーいよいよ本作が公開され、シタンダ監督も20代を迎えようとしていますが、今のお気持ちはいかがですか?「もっとセンチメンタルな気持ちになるのかなと思ったのですが、ここ数ヶ月が本当に公開も立て続いてたこともあり、全く実感ないというか、むしろもうそれどこほじゃないみたいな感じですね」

ーー10代の中で世の中に発表された作品としては、およそ10本近くです。ここまで多くの作品をこのスパンで制作し続けられる原動力はなんなのでしょうか?
「よく聞かれるんですが、多分ね、暇だからです(笑)。暇じゃないと映画なんて撮れないです。って言ったらこの前若干怒られたんですけどね(笑)。暇っていうと、色々やらせていただいてるから失礼にもなるけど、それしかやりたいことがないからですね。それと同時に、本当に書きたいお話とか書きたいテーマ、撮りたいロケ地とか撮りたい画、ご一緒したいキャストさんとかご一緒したいミュージシャンさん、そういった要素というか欲が日に日に数を増してるので、創ってないとむしろフラストレーションが溜まるみたいな感じですね」

ーー特に今作のような、ナイーブでセンチメンタルな作品は監督自身の内面性との対話をしながら作ることになると思うのですが、そこに対しての苦悩はありますか?
「今作に関して言えば、登場人物は僕と同世代だし、主人公が目指してるのは作家だし、多分すごく私小説的に見られると思うんです。でも、割とそういうわけでもなくて。勿論作品をつくる上で自分の中にあるものが要素として部品にはなりますが、自分の内にあるものを作品にそのまま投影することはなくて。そこの距離感というかラインは明確に持ってるつもりです。でも今作とかは多分、どこまで自分の話なんだろう、って探られたりもするだろうなって感じていて、むしろそう探られるところまでが創作だと思うんです。だからこちらから否定も肯定もしないし、そんなところですら楽しんでもらえるなら楽しんでもらいたいなと感じています」

ーーその境界線を見誤らないことを強く意識されてるんだろうな、というのは今の語り口から感じられます。
「この前、歳の近い映画監督を目指している人とお話する機会があって、自分の中にあることでしか作品を作れない、と話してくれて。でも別にそれは悪いことじゃないし、それで鮮度の高いものが作れるならそうした方が良いと思うんです。でも僕個人の話で言うと、自分の中にあるもので作ってもそこまで面白くならなくて。むしろないものでどれだけ面白く出来るかみたいなことに興味を持ってる節があると思います。そこのラインを曖昧にしてしまって変に飲まれても嫌だし。それだけどちゃんと、その年齢でしか撮れないものを撮ってるね、って言ってもらえるのが不思議だし、嬉しいです。ある種、シメシメって感じです(笑)」

──────────────────

公開情報

『ぼくならいつもここだよ』
小説家という夢を持ちながらもバイトはろくに続かず高校も中退した加登晴(四反田凜太)。彼は週に一度くらいの頻度で会う地元の友達・賢将生(寄川歌太)と何もかも話せる“安定”の関係にあった。しかしそんなある日、別の友達経由で知り合った一ノ瀬壮(光山叶倭)と怒涛の勢いで仲を深めたことで、次第に彼の中の友情に対する価値観が揺らぎ始めていく。“安定”と“不安定”の狭間で、彼の生活は不思議な緊張感を持ち始め、物語は予想だにしない方向へと転がって行く——。

監督・脚本・編集:シタンダリンタ
音楽:PAHUMA
主題歌:シタンダリンタ『もっと僕に』
出演:四反田凜太 寄川歌太 光山叶倭 近藤利樹 金谷みなと 篠崎雅美 長谷川悠 川合ルイ 秋山咲紀子 他

《完成披露イベント》
9/21シネマート新宿
9/25シネマート心斎橋
🎫https://stagecrowd.live/s/sc/ticket_event/detail/t10026?ima=2159

──────────────────



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?