連鶴

姉が居る。5つ年上だが酷く若作りだ。おかげでたまたま一緒に歩いているところを見た知人には彼女かとはやし立てられることもしばしばで、非常に迷惑している。先日もそうだった。仕事終わりに姉と会う約束をしていた。仲が悪いわけではないが、1年ぶりくらいに会う。親戚の結婚式に出られないならご祝儀くらい出しなさいと無理矢理に、姉にそれを託す日を決められた。そもそも普段から連絡も取ってもいない親戚の結婚式など出席する意味がわからない。時間の無駄だ。

「また猫背!」

1年ぶりの一言目がこれだ。ほっといてくれよ。無言でコンビニで買ったご祝儀袋を渡す。見ると姉はオフィスカジュアルというのか、実家で見るようなだらけた格好では無くきちんとしたジャケットにOLらしいパンプスを履いている。

「相変わらず愛想も無いなぁ。ちゃんと彼女出来たの?」

しっかりとカールさせられた茶色の髪の毛。都会の女だ。良くも悪くも。そもそも、ちゃんと、の意味がわからない。恋人がいなかったらちゃんとしていないとでも言うのか。毎日働いて自分の面倒を自分で見ていれば人に何か言われる筋合いなど無いだろう。何も答えず嫌な顔をしている俺を見て俺よりも更に嫌そうな顔をしている。

「ほんっとに愛想無いなぁ、別にいいけど。何食べる?あたし、あそこのバルに行きたいんだけど」

飯を食う約束などしていない。

「約束なんかしなくたって弟とご飯食べるくらいいいでしょう。ほら行くよ」

何も言っていないのに心を読んだかのように一人で喋っている。家族というのはこれだから面倒くさい。

姉のお目当ての店に入り席に着くと、下調べしていたのかこっちの意見など聞きもせずサラダやつまみのオリーブ、メインの肉料理とどんどんとオーダーしていく。唯一聞かれたのはドリンクだけだ。

「…ジンジャエール」

「えー!?なんで?お酒にしなよ、明日休みでしょう?すみません、シャンディガフでお願いします」

尋ねられただけで聞き入れられはしなかった。飲めないわけでは無いからいいが、癪ではある。

「あー疲れたー!今日朝8時から打ち合わせでさ、そっからずーっとあれやこれやで会社に缶詰めよ。もう外出れないと本当に疲れちゃうわ。と、言うことで今日もお疲れ!かんぱーい!」

母親もそうだ。姉と同じで俺のことなどお構いなしで良く喋る。俺に分配されるはずだったおしゃべり成分が手違いで2人に全て回されてしまったかのようだ。無駄に喋ることを要求されるよりは良いが。父親は小さな時に病気で死んだ。折り紙の得意な人だった。病院のベットで色々な折り紙を折っていた。1度、1枚の折り紙で4羽連なっている鶴を作ってくれたことを鮮明に覚えている。機械を使ったみたいに真っ直ぐによれずに折られた繋がった4羽の小さな鶴がとても嬉しくて、透明なケースに入れて大事にしまっていた。あれはまだ実家にあるだろうか。

「ねぇ、何のために2人でここにいると思うわけ?返事しなくてもいいけど無視しないでよね」

「あ、ごめん」

たった一言で満足げにまた自分の話をし始める。なんでも最近デートしていた男が微妙、らしい。とんでもなくどうでもいい。だがまた説教を食らうのはご免だ、聞くだけは聞こう。別に飲みたくはなかったシャンディガフを飲みながらたまに相づちを打つ。

「進は最近どうなの?仕事は順調?」

「まあ、普通だよ。社長も緩いし」

「個人事務所だと社長さんとも距離が近いわよね。ちなみに、さ」

姉弟は面倒くさい。一緒に過ごす時間がどうしても長かったせいで何となく言いたい事がわかってしまったりする。

「いやだ」

「まだ言ってない」

「てかあの人は最近恋人が出来たらしいから無理」

つまんなーい、と抜かしているがまだこの話題をやめないらしくどんな女か聞いてくる。どうしてこうも人の色恋沙汰が好きなのだろうか。昔からそうだ。何組の誰々ちゃんが誰々くんに告白した、だの何で俺に言うんだと思いながら聞いていた。

社長の恋人は会ったことは無いが、今日のお昼に屋上でこっそり恋人の手作り弁当を食べていた。夕飯の残りを詰めてくれただけ、と照れたように言っていたがこれは社内の者なら誰しもが驚くような事態だ。社長はプレイボーイで相手を取っ替え引っ替えしていて1回は会社まで押しかけてきた人も居た。恋人を大切に出来ない人なんだと思っていたが、大切にしたい相手を見つけられなかった人だったのだと弁当を見て思った。照れている社長が珍しくて2、3質問をしたら詮索するなんてらしくないなと言いながらも少し嬉しそうにどんな人か教えてくれた。要約すると、不器用で口下手で酒癖が悪い、らしい。良い所無しに見えるがどこが良いのかと聞くといつものようにうるせえと一蹴された。その話を姉にすると何やら神妙な顔になった。

「放っておけないってやつか…」

「は?」

「良く聞くじゃん。放っておけないと思ったから一緒になりました、みたいな馴れ初め。それさあたし無理じゃない?崖から突き落としても大丈夫でしょうみたいな性格だからさ」

だとしたらあたしは何を目指したら良いの、とまた一人おしゃべりがヒートアップしている。
なぜ何かを目指さなくてはいけないのだろうか。姉はバリバリに仕事をしてキャリアを地道に積み上げている。それの何が悪いのだ。一体誰に迷惑を掛けているというのだ。まだ見ぬ未来の旦那様?馬鹿げているにも程がある。

「いいよ、それで」

「…え?」

「今の姉ちゃんで駄目ならそいつは山根家にはいらねえよ」

心底びっくりした様にただでさえでかい目をかっぴらいている。そのうち少し気持ちが落ち着いたのかなんでわたしがお婿さんを取る前提なのよ、等と不機嫌そうに言いながら皿の上の料理を片付け始めた。これは照れている時の態度だと知っている。

よく飲むところも母譲りで今日は一体何杯飲んだのかもわからない。もう終電も間近なはずだが焦りもせずご機嫌な様子で夜道を歩いているからまぁ良いのだろう。まさか家に泊まる気じゃ無いだろうな、確かに家はここから歩いて15分ほどだがさすがに勘弁して欲しい。

「でもさ、ほんとにさ、進も恋人でも作りなよ。お母さん、何にも言わないけど心配してるんだよ。このままだとあんた孤独死するんじゃないかって」

意地の悪い顔で笑いながらこちらを見ている。余計なお世話だ。

「「ほっとけよ」」

姉の被せてきた言葉が思いのほかしっかりとハモり2人で顔を見合わせる。今年1番笑ったかも知れない。笑えばまだましな顔になるんだからとか何とか涙目のまま、また喋り出した。ふと前を見ると手を繋いだカップルがこちらに向かって歩いてきている。端から見れば俺たち姉弟もああ見えるのかも知れない。確かにパートナーが居るというのは少し、本当に少しだけ羨ましくはあるが今は、別に良いんだ。強がりでは無くてただ今は必要ない。寂しさに耐えられない時が来たら婚活にでも行けば良いだろう。カップルが段々と近づいてきてすれ違う。

「お疲れ様、山ちゃん」

声を掛けられて初めてカップルの男性の顔を見て目を見張る。昼に手作り弁当を照れながら食べていた弊社の社長様だ。

「うっわ…」

思わず漏れた声に社長は声を上げて笑っている。連れの女性は状況が良く分かっていない様だがにこにこと笑いながら様子を見ている。肩につくくらいのウェーブの掛かったきれいな髪をしている。この人が放っておけない、というやつか。姉が説明しろと小突いてきたので、上司だと告げる。

「あら!どうも進がいつもお世話になっております!姉の恵です!本当に無愛想な弟できっとご迷惑ばかり掛けていますよねぇ、本当にお世話になっております!」

「いやいや、進さんは真面目に働いてくれていますよ。素直なので僕もとても助かってます」

慣れた営業スマイルで語られた素直という言葉に俺が表情を歪ませている事にも気付かず姉が何やら舞い上がってまたしゃべり出して、名刺なんぞを交換し始めた。隣の女性は相変わらずにこにこと2人の会話を聞いている。ふと、こちらを見た。目が合うと微笑みかけられた。反射的にまた顔を歪める。しまった。彼女は気にしていないようにまた2人の会話を聞いている。

「デート中お邪魔してしまってすみません。週末、楽しんで下さいね!今後とも、進のことをどうぞ宜しくお願い致します」

姉がしおらしく頭を下げるので、仕方なく俺も頭を下げる。それを見た社長がニヤついてこちらこそと返し解散した。溜息をついている俺を無視して素敵な方じゃ無い、何でもっと早く紹介しないのよと文句をたれながら姉はさっさとタクシーを拾って帰って行った。

疲れた。仕事よりもどっと疲れた。

週明け出社するとさっそく社長が寄ってきた。それを見て嫌な顔をした俺を見てまたニヤついている。

「本当にお姉さんか?随分楽しそうにしてたから恋人かと思ったのに」

「…彼女さん、若いっすね」

答えを返さない俺を見て肩をすくめると、家族は大事にしろよと言い捨てて書類を置いて戻って行く。

家族。母親はもうすぐ還暦だ。父親が死んでからシングルマザーとして仕事をしながら俺たち姉弟を育てた。4人家族が3人になり、母は何を思っていたんだろう。小さな俺は、母の居ない夜を何度も姉と乗り越えた。母の日には姉と2人でケーキを焼いた。母は俺の誕生日にはいつも食べきれないほどの好物を作って学校から帰ってくるのを待っていてくれた。そう言えば、姉弟どちらかの誕生日には必ず家族全員そろっていた。それは父が居るときからそうだった。もしかしたら母は4人分の食事を作っていたのかな。

今は2人とも手が離れたからと仕事をそこそこにしながらも趣味の刺繍に精を出している。今度実家のすぐ近くでグループ展示をするとハガキが来ていたような気がするが、あれは今週末では無かったか。

家を出てから何年もそのままになっている実家の自室を思い浮かべ、透明なケースをどこにしまい込んだか考えながらコーヒーを淹れにデスクを後にする。

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