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最近のこと



個人としての幸せがよくわからなくなった。
仕事しているのは幸せ。けど、最近仕事しかしていない。仕事してるのが幸せ。「ことばにない」を終え、1日休んで、とは言ってもオンラインで打ち合わせをしたりはして、喜界島で創作をして、発表をして、創作をして、京都で発表をして、東京に帰ってきて、脚本の打ち合わせがあり、11月が終わりそうになっている。

明日もなにかをして、しばらくしたら脚本のプロット〆切があって、もう一本脚本の〆切があって、、、、で、バタバタして、で、年が明けてバタバタして、喜界島に向かう。

こういう生活を送っていると、わたし個人の生活というものはだいたいおざなりになる。もともと定住生活に興味がない方だと思うけど、宮崎さんはクサビライシサンゴだとサンゴ研の先生に言われた。サンゴ種の中で唯一動きまわる自由生活型のサンゴらしい。

で、仕事はすごく充実してるが、それなりに寂しいとかいう感情自体は持ったりしつつ、自分のことでいっぱいいっぱいなので、いい相手がいれば...こんなスタイルだけど、それでも大丈夫なら...みたいなスタンスでしかいられず、なかなか自分から恋愛に向かう余裕がない状態である。二人で生きることを選んだ人たちは、そこに時間を割いて、ちゃんと何かを手に入れることができたんだなと思った。わたしが人生で手放しそうになっていることを選べた人たちなんだなと思った。わたしの幸せは多分なにかを考え続けたり、創造していくことで、わたしも楽しいし、こういう発想は好きなものではないが、人の役に立てる可能性が高い。それらを優先させた結果、わたしの人生における幸せの一つの選択肢がなくなろうとしているのかもしれないと思った。まぁ、よい時にそのタイミングは来るのかもしれないが、お世話されるのは少し目に見えていて、相手はそれでもよいのか、わたしは忙しさの中で現れるのかもしれない相手を大切にすることを頑張れるのか。これが30前を目にした人間の焦りみたいな感情なんだろうか。などと長い打ち合わせを終えた帰りの電車の中で思っている。

演劇作品をつくっています。ここでは思考を硬い言葉で書いたり、日記を書いたりしています。サポートをいただけますと、日頃の活動の励みになります。宮崎が楽しく生きられます。