ほんとうのわたしは好かれないが、わたしの作品を好きだと言う人がいる。


わたしは好かれないが、わたしの作品は好かれるという自己分裂しそうなこと、その作品を作っているのもわたしなんだけどな、とずっと感じていた。そんなことと、葛藤していた気がする。わたしはそんな丁寧な人でもないし出来た人間でもない、その自己矛盾にほんとにそれでいいのか?と思っていたけれど、作品と自分の距離が縮めば縮むほど、別の難しさも生まれてくる。ほんとうの自分は友達だけに見せて、作品にはほんとうの自分のカケラを今後は散りばめていくことにしようかなと思う。わたしはエッセイストではない。自分の持つ精神世界、わたしから見えている世界の運動は他人に否定され得るものだとわかった。その見え方は多くの人に病気だと言われ得る。わたしは結局、ずっと言葉の人間だった。ことばにそれはあった。経験を語ることに不慣れだ。フィクションに、言葉にした時、わたし自身の存在が薄くなりながらも、それらは他人にはなんだか伝わっているらしいから、ほんとうのわたしは好かれないが、わたしの作品を好きだと言う人がいる。

金原まさ子の毎日新聞のエッセイを読んだ。この人のほんとうの部分じゃなく、骨格の経験の部分が読まれ、共感されているのかもしれないと感じてよくわからなくなった。自死を選びそうになったその戸惑いや葛藤じゃなく、その出来事自体が読まれていて、読むってなんだろうと思った。ほんとうには、日々生活をしていれば出会えるんだろうか。

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