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早く経験も年も取りたかった

無隣館3期演出部にはすでにキャリアのある人や自分よりも年上の人が多くいた。大学3年から無隣館に通いはじめて、それまでも演劇サークルで演劇をやっていたが、戯曲の書き方や構造のこともきちんとわかっていなかったし、戯曲を書けるようには(宮崎的には)なっていなかった。大学の座学の授業で演劇の授業を取っていたくらいだったから。勝手に演劇史まとめノートを一人で作って遊んでいた。

無隣館演出部では、企画を立てて、プレゼンして俳優に賛同をしてもらわなければ、自主企画ができないということで、動いたものの、選考に漏れ、無隣館時代に自主企画を打つことはできなかった。企画を打てないと退所の可能性ありということで絶望した。が、通例にないパターンで、「自主企画を打たずに青年団演出部に入団」した。面談の時に「とにかく味方を増やすことだね」と言われた。

自主企画を打ってないのに入団かぁと自分の中で思っていたのもあり、青年団若手自主企画を打つことにした。手筈は無隣館の時と同様で、企画書と予算書を作成し俳優の賛同を得て、面談をしてOKが出れば企画が打てる。

若手自主企画の金銭面でのポリシー、決まり事もあるので、俳優さんに賛同してもらえないかとお願いしても蹴られることはある。そういう時、わたしが経験のある俳優や演出家だったらOKしてくれたんかなぁと思うことがあった。実際「まだ若くて経験もないからどっちの企画に出るかってなったら、あなたのには出られないよね」と経験を理由に無隣館時代に断られたことがあり、すげーショックだったし、悔しい〜!となった。「若いねー」も言われたくなかったし、早く経験も年も取りたかった。

目に見える(若い、経験が浅い等の)材料でなく、企画の内容や、やろうとしていることを見て、経験の浅い私に、賛同してくださった俳優の皆さんには感謝しかない。青年団ベテラン俳優の方も。協力してくださったみなさんがいなかったら、わたしは自主企画を3回もできていなかったし、3回も終演できていなかった。

とここまで書いたものの、賛同を得るってとても大変なことで、この大変を3回やったことで自信もついたと思う。俳優にこの企画なら大丈夫って賛同してもらえないと、そもそも公演が打てないのです。そのおかげで説明する能力もある程度は身についたと思う。

これまでに公演を打つ時は自分が一番年下ということがほとんどで、周りのみなさんに大変お世話になることが多かった。ムニを大学3年生のころにはじめた時に「赤字負担しない、自分の手に負える範囲で仕事をする」を決まりごとにしたのもあり、がんばるけど、がんばらないをするようになった。

自主企画の演出で困った時も、「どんな風にしたい?とか、どういう風に見せたいとかある?」って質問してくださって、コミュニケーションのやりとりの中で「じゃあこんな感じはどう?」とかって進めることができた気がする。肯定的なやりとりの中で作品づくりはうまくいった気がしている。

で、今の話になるのですが、だんだんと自分の年齢も上がってきて、座組みで最年少でなくなったというのもあるし、権利のことを意識的に考えていたかと言われると否の部分も多いなぁと反省した。少なくとも自分が言われて嫌だった「若い」「経験がない」は自分より下の世代に対して言わないようにしたいということを年齢の面で思ったというお話でした。昨年のコンクールの選評の時も「早く年も経験もとりたい」と思っていたなぁと思って。年のことや経験のこと、を持ち出されると何も言えなくなっちゃうから。目に見えていることを話そう。話すことで目に見えるようになる、いつもは見えてないこともあるはずだ。

演劇作品をつくっています。ここでは思考を硬い言葉で書いたり、日記を書いたりしています。サポートをいただけますと、日頃の活動の励みになります。宮崎が楽しく生きられます。