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東京に自力で行けた時の話

中学生の頃に生活作文を書いて、たまたま全国入賞して東京に行けることになった。せっかくだからということで、家族4人で東京旅行をすることになって、とても嬉しかった。母と妹と3人で資生堂パーラーでごはんを食べた。何を頼んだらいいのかわからなくて、オムライスを頼んだ。おいしかった。父は仕事で遅れて、作文の表彰式の直前に揃うようにやってきた。うちは自営業ということもあり、家族揃って遠くへ旅行することがなかなかできなかった。できたばかりのスカイツリーの近くで家族写真を撮った。がんばったら東京に行けるんだと思った。がんばったら家族旅行ができると思った。

「がんばったら東京にいける」以上に読んだりすることが好きになったのもあり、高校くらいになってくると、わたしが何をしたいのか、何を読んでるのか、何に興味を持ってるのか、そういうことがどんどんわからなくなってきたんだと思う。スポーツだったら応援しやすかったんだろうか、とソフトテニスの県大会に出ていた妹を見ながら思った。だから、文学はあまり応援されていないような気がした。母親の昔の?本棚には、レイモンド・カーヴァとかサリンジャーとかスタインベックとか擦れた系の英米文学があって、どうやらそれらはカナダに家出した時期に読んでいたものだったらしい。家にあったので勝手に読んでいた。

家でも学校でもわかりやすいことが応援されるのが理解できなくて高校生の頃に超絶反抗期に突入した(おそらく)。「あなたがしたいことが理解できない」と言われて、「なぜわからないんだ!」となり、母親とバチバチに喧嘩したが、そりゃ他者なのでわからないですよね〜という感じだ。気が合う友達もいなかったので、私の逃げ場所は本の世界になっていった。 傾倒して読んでいた倉橋由美子が明大出身らしいということ、今の成績でも行けるしということで、明大を受験することにした。


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