掛札さんとマッキー
①
「私はイデオロギーのためにレズビアンをやっているわけではないし、異性愛者(ヘテロセクシャル)がいるからレズビアンをやっているわけでもない。まして、男が嫌いだから女を好きになるわけでもなければ、「男」になりたいから女を好きになるわけでもない。」
(『「レズビアン」である、ということ』掛札悠子、1992)
というのが最近私の中で痕跡を残している言葉です。
②マッキーの「軒下のモンスター」ってすげぇいい曲なんです。こんな暗い曲なのに明るくなるマッキーすごい。
「好きになる相手が みんなと僕は違うんだと 普通に結婚して 子供を何人か授かって それ以外は幸せとは 誰も信じないようなこんな街で」
③わたしは、もう少し気楽にいたいということなんだけど、イデオロギーが絡んでくるのが、あああっとなる。ごく、個人的な、性的指向が、いい人であらなくちゃいけない堅苦しさみたいなのに結びついてるような、そのことに押し潰されそう。全然いい人じゃないのに、と思ったりする。
④そして広報となるとなおさら
⑤ハラスメント規約作ってやってます!みたいなのも、わたしはこういうものです!みたいなのも、本当は苦手。外向きの発信みたいなの。大切な人を守るためなら、話し合うし、大切な人に大切なことは言う、以上という感じで。その行為の大切さはとてもわかるのですが。わたしはわたしやわたしの大切な人たちのために、行動するだけなんだよ。
⑥なんだろう。日々の魂の筋トレを個人個人がしてくださいという気持ちになる。でもそんなことは他人にしてくださいなんて言える話じゃない。自分の中の差別意識と日々向き合うことを怠りたくないが、同時にうううっとなるという話でした。
⑦ただの人になりたいと思う時がある。
演劇作品をつくっています。ここでは思考を硬い言葉で書いたり、日記を書いたりしています。サポートをいただけますと、日頃の活動の励みになります。宮崎が楽しく生きられます。