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作家の仕事と戯曲の名詞

たとえばなにか、それ、を表す名詞があったとして、その名詞を分解していく作業が作家の仕事だとわたしはなんとなく思っている。違う考え方があっていいと思うけど、わたしはそう思っているという話です。

俳句を書いていた頃から、極力見たものを内側からそのまま書くことを意識していた。内側からというのは、主に2パターンあって、見たということを身体性含めて書くことと、対象の立場から書くということだった。できるだけ副詞も名詞も簡単に使いたくなかった。わたしの俳句には動詞が多かったと思う。シニフィエとシニフィアンを一致させたかった。あきらめの中で書いていた。このあきらめは決してマイナスだとわたしは思ってない。

劇作をしている時も結構同じことを考えていると思った。キャラクターを考える時、例えばそのキャラクターがレズビアンだったとして、その属性のようなものを内側から分解していくことから考えている。5文字の言葉に還元できないような、普段はこぼれ落とされる部分をわたしはそのキャラクターの目線だったり、外側からの暴力的とも思われる視点だったりを通して、内外の往来から立ち上げたいと思ってやっている。

だから本当は、宣伝文などで簡単に「レズビアンの主人公が出てくる演劇です」みたいなことを書きたくないと思ってしまう。その抗いが長文のわたしは普段こんなことを考えていますみたいな文章をあらすじと併記することに現れているのかもしれない。

言葉で他者を客観的に現すようなセリフをキャラクターにできるだけ言わせたくなく、避けている。嫌なシーンを作りたい時は、火種をそこに置くこともあるが、いいシーンではやりたくない。

演劇作品をつくっています。ここでは思考を硬い言葉で書いたり、日記を書いたりしています。サポートをいただけますと、日頃の活動の励みになります。宮崎が楽しく生きられます。