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上演の距離について

日常生活では、適度な距離を保つべしと言われ、演劇の規則でも、俳優と観客の間にも2メートルという物理的な距離を取ることが義務付けられている。わたしが3月に上演する演劇でも、観客との間には2メートルの距離がある。

社会的な規範に基づいて距離を規定されることがわたしたちの生活では当たり前になってしまっていて、見えないことよりも、見えることを重要視する空気が社会には蔓延するようになった。

この社会的な2メートルをいかにして飛び越えるか。

決められた距離に対抗しうるものが、知覚なのだとしたら、思うこと、祈りはいつだってどんな距離をも飛び越えてきた。記憶される時間も場所も、人間が図ることのどれもが正確ではない。人間の知覚には常にバグがある。

人が物を知覚しようとする時のバグ、全体を捉えようとする時のバグ。まなざしの時代は終わったと言われている中で、まなざし、対話する演劇の意味。わたしは「まなざし」を前提にして、飛び越える。知覚しなおそうとする。

まなざしのない演劇なんてつまらない。距離とまなざしのリアルと、物語の関係を続ける可能性はまだ演劇にあるだろう。

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