喃語

従来の使用方法の言葉や修辞を解体しリアリティと想像で語り直すという作業しか言葉を扱いはじめた時からしてない(そういうのもあって「ことばにない」なの)ですが、セクシャリティやジェンダーを解体し語り始めたとたんに、セクシャリティという言葉の範囲でそれをやることは普遍的でないとか、狭いとか言われるのなんなの〜〜〜〜〜〜キモ〜〜〜〜〜イと思う。こういうの無視して黙っていればいいんだろうけど、はじめはそうしてますが、言われっぱなしが嫌だし、そういうことを言ってくる人は自分のこと匿名だと思って言ってきている、平気で人のことを傷つける言葉を言う人のことが許せないというマインドにしばしばわたしはなってしまう。傷つける言葉を自分の顔を晒さずに他人に平気で吐けるから、自分のことも大切にできないし、他人のことも愛せないんじゃないの?ってマジレスしたくなる。そういうの危険だし、もっと隣人のことを大切にできないのでしょうか。関係性を見せるためにわたしは演劇をやっている部分も少なからずあります。あなたの守備範囲でないからって普遍的でないで片付けるなよ、って思うし、ぜんぜん伝わってねーじゃん!伝えたいことなんてなくて演劇やってるんだけど!って思う。わたしはわかりあいたいんじゃなくて、わかりあえないことをわかりあいながら、他者を異質なまま受け入れよう、って言ってるんだよ。

表面的な言語もキャラクターもそれだけじゃ甘くて、そんなん全然自分の言葉でも、自分でもなくて、解体して、自己を突き詰めていくことでしか、危うさとか、本当の言葉って見えてこないと思うし、そんな危うさの中を人間って生きてるんいじゃないのか?って思う。今回の作品ではお前が表面的に捉えてる「女」だったり「レズビアン」って言葉を解体して、自分なりに内的なドロドロとか含めて語り直そうとしてるのです。あー、お前とか言っちゃった。。。

演劇作品をつくっています。ここでは思考を硬い言葉で書いたり、日記を書いたりしています。サポートをいただけますと、日頃の活動の励みになります。宮崎が楽しく生きられます。