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死の瞬間

川島なお美さんのご逝去を知った。あまりにも痩せた姿を拝見してから、あっと言う間の訃報だった。余命宣告を受けていたことも、胆管癌という癌の生存率の低さも、今回はじめて知った。おおくを知らなかったわたしたちにはあっという間でも、おふたりにとっては告知からの日々は長く過酷な日々であったろうと推測します。心よりご冥福をお祈りいたします。うつくしい姿は、憧れでした。

ご主人の鎧塚さんが最期の瞬間を語った報道で「カッと目を見開き、その後、静かに亡くなった」と仰っていたのを聞き、祖母のことを思い出した。

祖母は肺炎だった。90歳を過ぎての肺炎は深刻だった。弱まった心音、苦しそうな息、「おばあちゃん」と声を掛けても反応はなく、おそらく今日中でしょう、と医師に言われていた。

親戚が来る連絡か何かで皆が部屋から出ていき、たまたまわたしだけがベッド脇の椅子に座っていた時、祖母がカッと目を見開いた。「おばあちゃん」と大声で呼んだわたしを祖母の視線は捉えることなく、次の瞬間に、緩やかな息になり、心電図のグラフが直線になった。

祖母の最期の瞬間をわたしだけが知った。
身体の機能が停止する瞬間、見開いた目には恐らく何も写っていないのだろう。焦点の合わない目だった。
静かに緩やかに停止していく最期も何度か見てきたが、動いていたものが急ブレーキをかけて、生を終わらせたように見えた祖母の最期と鎧塚さんのコメントが重なった。

死を免れることは出来ない。どんな例外もありえない。
死の瞬間は、きれいごとではなかった。
停止する瞬間を出来るなら見せたくない、と思う人もきっといる。死に目に会えなかった方にはそれが故人の願いだったのかもしれないよ、と伝えたい。

わたしの中に刻まれた祖母の目は、わたしへの何らかのメッセージだったのだろうか。
わたしだけがいた僅かな時間に逝ったのは、ただの偶然だったのだろうか。

今でも祖母の部屋の前の縁側に差し込む日差しと、おはじきのひかりが、わたしの記憶の深いところで、静かに漂っていて、実家にはまだ元気だった頃のままの祖母がいるような気がしてしまう。

もしも、あの世があるなら、わたしの最期の時には迎えに来てね、愛犬も連れて。

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