記憶のメカニズム1

「忘れもの王」この不本意な称号を小学校に入学してすぐに担任より受け取ったわたしは、学校から帰ると連絡帳をすぐに母に見せることが日課だった。「宿題のさんすうプリントを出して」母に言われ、ぎゅっとランドセルに押し込んだはずのプリントを探す。ない。慌ててぐしゃぐしゃのランドセルをひっくり返す。
「もう、なんでこんなぐしゃぐしゃなの、あるものもなくなるわ、早く学校へ取りに行ってきなさい」
母の怒った呆れた顔を見るたびに、わたしの存在が蟻のようにちいさくなっていく。

当時は学校に住み込みの用務員さんがいた。「すみません、忘れものをしたので入っていいですか?」ちいさなわたしが今週3度目の、鍵のかかった校内へ入るための許可をもらおうとしている。
学校内でありながら、暖簾一枚の向こうで家族が生活するスペースは、其処だけが違う色をしていた。幼いわたしにも踏み込んではいけない、生活臭を感じ取っていた。
用務員さんの子どもと同じ学年の男の子たちは、放課後、学校内から暖簾をくぐった向こう側へ遊びに行った話をしていた。実際になんなく暖簾をくぐっている男子を見たこともある。
わたしは、いつも暖簾の手前で「すみません」と精一杯大きな声で呼んでいた。用務員さんが不在の時に、中からにゅっとふたつ年上の男子が現れ、面倒くさそうに鍵を開けてくれたこともあった。

「忘れないようにしても忘れる」
それはわたしのだらしない性格ゆえのものだ、母から言われたままの言葉を胸のうちで繰り返しながら、だらしなくないわたしになりたい、と何度思ったことだろう。
「○ちゃん、プリントはここに入れておけばなくならないから」身の回りの世話をしてくれる同級生のおかげでそれなりによろよろと忘れものをしながらも大人になっていった。

大人になっても相変わらず忘れっぽいままであったが、iPhoneで予定を入れておけば忘れていても30分前には教えてくれる!時代のおかげで、さほど支障なく生活が出来ている(ありがたい)

そんなある日、ふと、わたしの忘れものは、脳の障害なのではないか、と思った。すぐに病気にする!と家人に言われるが、わたしと家人、どう考えても脳のつくりが違う。整理整頓のとき、途中で面倒くさくなり投げ出すわたし、引き出しの中身をすべて出し、大きさの同じもの、高さの同じもので、ちゃっちゃっと在るべき場所に収納してゆく家人。もう、神かなにかにしか見えない。
ほほーなるほど!とは思うものの、実際、真似してやってみるが明らかに精度が違うのだ。

脳のつくりは、顔立ちのように外へ開かれていないので、病気か否かは専門医に受診しなければわからない、わかったとしても生活が営なめているのだから、大丈夫の範疇なのかもしれない。

大丈夫の範疇、普通であることの意味を考える。

欠落した脳の繋がらないシナプスが片手を差し出しながら誰とも手を繋げない映像がちらついた。




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