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ココア共和国12月号やながわの感想

すでに1月号の告知が出ているというのに、12月号やながわの感想をやっとUPしている。
さて感想。

「ある日私が完成していたこと」あけめねす
「私」は、一昨日くらいに私は完成していたという。指も足も手も口も「僕」の言うとおりにしか動かない、それって、これまでは僕でないものでも「動かせていた」ということになる。完成した「私」は、川沿いの工場まで行かないことを悲しくない。完成したら「変わってしまう」。未完成ゆえに、つまらないことにも無駄なことにも笑えて、泣けるのかもしれない。

「成長」 篠崎豆猫
豆猫さん、筆名がかわいいですね。詩人に「猫」好きが多いのはなぜなのだろう。あけめねすさんと近い発想の詩だ。「なにかになりたかった」「今のままでいたかった」両方とも成し得る自由さを持った「生き物」として生まれたわたしたちは、結局、なにものにもなれないのかもしれない。

昨今のコロナ禍や、コロナ以前からの閉塞感から、いったい何を夢みるのか、今日をいかに生きるのかを問う思いが、このふたつの詩には描かれている気がする。
梁川のように、若い頃にバブルを味わった世代は、当時、人生の成功に必須とされていたのは、レベルの高い大学、会社に入ることだった。バブルが弾けて、決して「成功」の条件がこれらではないことが「わかってしまった」そこからの閉塞感が、世界に漂っている。

さて、感想に戻る。
「私の、わたしの。」みにゃあゆな
「私様」「オルタナティブ」新鮮な言葉が息づいていて、ああ、いいなあと思う。「私様」私に敬称をつけること、これは私には出てこない言葉だな。「私が死んで」オルタナティブが表に出たほうが平和で、いずれ私となってくれるように「水を捧げる」という発想。私様は、オルタナティブを内包しており、いつか私様はオルタナティブに内包されたい。

「過去の名前展」長野小夢
「名前」は自分を表す記号として、アバターのように存在する。過去の名前が消えてしまうのではなく、展示されるという発想がおもしろい。詩をかいていれば「詩人」としての名前が存在する。そもそも、世界は名前をつけることで共有可能なものとなる。長野小夢さんという素敵なお名前。筆名でしょうか。梁川は年齢に合わない筆名のため、よく若い詩人だと思われます。愛着のあるこの筆名をすぐに手放すことはありませんが、なんらかの理由により手放す際には、長野さんの自由帳にぜひ入れてやってください。

「願望」明石裕里
男、女、母親、父親、弟、娘の関係性が揺らいでいて、最後の一行で、もう一度最初に戻った。死の間際で最後に願うこと。天井の北海道形の染み(染みって意味もなく、意味のあるものを描くことがあって、そこに意味を見出したりします)ピース(欠片でも平和でもある)からのショートピースへ、印象的なモチーフが描かれている。

「グーグルマップ」雨野小夜美
「僕らはいずれ消えるもののために日夜働いて」から「空しく点滅を繰り返す」までが、とてもいい。特に「手を真っ黒にして金を稼ぐ」「幸せと辛いのたった一画」がいい。そして、この詩のラストで、ちっぽけな僕が僕を見上げるところで、俯瞰した「自分」の逆転が小さな世界をぐーんと広く見せていて、とてもいい。

「色は」tOiLet
詩のタイトルを最初見た時、「ない」と答えた。「色はない」。般若心経の色即是空から、形あるものは恒常的実体がない、かなと。ふと、色を平仮名にしてみると「いろは」いろはにほへと(色は匂へど)なのかなと。タイトルだけであれこれ思いを巡らせる、この最も短い詩である「タイトル」のうまさゆえのことだ。普通ならば「透明」とタイトルをつける人が多いのではないか。この詩の全体を流れている「透明」の、ラスト一行が効いている。「だから僕の指はこんなにも透けた色をしている」存在の不安定さ、不確かさを感じさせる。世界は色がついているから見分けが容易だ。その色の持つ意味を考えた時、この「見分け」は正しい見分けなのか、そもそも本当に「色」は存在しているのか、そう感じさせられた。

「ドミリさん」テル
「はい!一緒に生活したい人ドミ。!」と、思わず答えました。行の最後につく「ドミ」が、とてもかわいい。もう、ほんとたまらないくらいかわいい。ドミリと暮らしたいわ。大切に包んで、太陽にあてよう。光合成という名の日向ぼっこをしよう。わたしには、こんなかわいい詩、かけないな。かいてみたいな、と思わせてくれる詩。

「ミッドナイト・モノローグ」木崎善夫
深夜ラジオ、昔、よく聞いてました。リスナーからのメールを紹介するのだが(当然、今やメールなのですね、昔は葉書でした)コロナ禍をうまく表していて、とにかくおもしろい。ラストナンバーの「ありったけの包帯」歌うのは大崎豊!(あの伝説のロッカーと一文字違い)なんと!誰も無傷ではいられない、だから「ありったけ」の包帯なのか!よくよく見れば、パーソナリティは「ホーリー・堀」12月の聖夜にちなんだのだろう。掲載される月を選んで出したこと、プロディース力を感じて唸る。こんなおもしろさを出せるのは、文章に力がなければ成せない。

「タイムマシン」近藤太一
「時間」がめちゃくちゃな世界の例で、わたしが最も好きなのが「画面タッチで参勤交代」。参勤交代は、お金を使わせ刃向かう財力をなくしたとか、妻子を人質にするためだったとか、言われているが(梁川のあやふやな知識なので間違っていたらごめんなさい)これでは、あっという間に参勤交代してしまう!まったく意味をなさないではないか!世が世なら、とはこのことだ。

この詩を読みながら思ったことをすこし。「時間」は未来を見せてくれない。過去だけが「知りうる」ものだ。去年の12月のわたしが、今の世界を見たら「なんで皆んなマスクしてるの!」と恐怖を感じるだろう。
得体の知れない恐怖、といえば、去年の12月、わたし、わたしの家族、職場で、咳が止まらない風邪らしきものが流行っていた。「これ、なんか得体の知れないものではないか?」と当時のわたしが記した文章が残っている。1年前には、すでにわたしのところにきていたもの、それは、まさか。。「今」が見える状態で、1年前を振り返る時、可能性の口が開く。わたしには抗体があるかもしれない、と。





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