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目をかける【エッセイ】

わたしの祖母はお茶とお花の先生をしていた。
相当、癖のある人だったが、ストイックで企画力にも長けていたためか、お弟子さんの数はどんどん増え、看板分けしてもらった先生のお弟子さんの中では一番流行っていた。それは華道で特に顕著で、四季に合わせた生花だけではないもの、夏にはちょこんとお人形が座っているモビール等、子どものわたしがワクワクするようなものも多かった。小学生のわたしは時々参加させてもらい、お弟子さんたちが活き活きとしたした表情で、祖母に教わっている姿を見ていた。

田舎で数カ所しかない、華道、茶道ゆえに、わたしの通う小学校の先生も、通っていた。障害者を受け持つクラスの先生と音楽の先生。
学校で、祖母のことを「素敵なおばあちゃんよね、他の教室とは全然違うのよ、人気があってやっと入れたの、先生も。いつもお世話になっているの」と言われると、素敵なおばあちゃん、に対しては身内を褒められ嬉しくもあったが、先生と生徒という学校内の関係に変化が生じているのを、幼いなりに感じていた。

違和感のようなもの、それが形となって現れたのが、卒業生を送る音楽会の伴奏者発表だった。
わたしが選ばれた。
わたしだけでなく友人も驚いた。そもそもピアノを三年しか習ったことのないわたしは、音楽の授業でも伴奏に選ばれたことはなかった。
すぐに祖母の弟子である、音楽の先生のところへ行った。
「わたし、出来ません」
全く自信はなかったし、第一相応しい人は山ほどいたのだ。ピアノを習うことが流行りだったため、わたしより弾ける人の方が多いのではないか、と思うレベルのわたし。
「大丈夫よ、主旋律は◯ちゃん(学年ナンバーワン奏者)だから、連弾の簡単なほうだから」
納得は出来なかった。簡単なほうとして、わたしより弾ける人はたくさんいる、なぜわたしなんですか?
先生は、ただニコニコと、あなたにやって欲しかったからよ、と言った。

この事は家に帰るとすぐに家族に伝えた。学級委員、児童会役員、クラストップの成績、祖母は肩書きや実績をわたしが残すことを異常なほどに喜んだ。妾であった祖母は、人さまから後ろ指を指されながら父を女手ひとつで育てあげる中、なにごともトップを取ることで、やり返してきた。それはわたしにも求めた。
その時、祖母が喜んだかどうか肝心なところは覚えていない。わたしは、みんなの前で恥をかくかもしれない、なんであなたが?の視線に耐えられるだろうか?と暗澹たる気持ちで何度か先生に替えて欲しいとお願いにいったが、結局、受け容れてもらえなかった。

発表の日のことをなぜかあまり覚えていない。
終わった後に「よかったわよ」と笑顔の先生だけしか記憶に残っていない。
発表の日まで練習して弾けるようにはなった。多分、本番、わたしはあちこちミスをしたような気がする。
それでも主旋律の美しさがそれを消した。(わたしなんかいてもいなくても同じだった)最初と最後に挨拶をする、親のいる前で名前が呼ばれる、そのためだけのわたし。

気付いていた。
祖母に目をかけて欲しいゆえに音楽の先生がわたしを選んだことに。
わたしの後ろにいる大きな祖母という存在の前に、私は存在していなかった。

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