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泣かれること、泣かされる人、泣きたい時。
今日は子育てのお話。
泣いてきたのはいつだったか。
子どもってこんなに泣くのかって思うほど泣く。
赤ちゃんの時はもちろん、大きくなってきても泣く。
要求が通らなければ泣き、暑くても寒くても泣き、夕方になれば泣き、お腹が空いて泣き、眠くても泣く。
泣いている理由を想像してみても言語を持たない相手には無力であることが多くて、虚無感にかられる。
だってそんなことで泣いたこと私はないもの。
眠かったら寝ればいいし、暑かったら脱げばいいし、夕方は、泣かなければいい。
でもそうはいかなくて、忘れてきた遠い昔を思い出しても思い当たることはなくて何で泣いているのかの無限ループに苛立つ。
自分がこんな必死に泣いたのはいつだったか。
親が死んだとしてもこんなに泣くだろうか。
でもこの子が死んだらこんなに泣く様な気がする。
いつからこの子がこんな大切になったんだろう。
ただ泣いてることが、いつからこんなに辛くなったんだろう。
泣かれる、泣かせてる。
人は自分の感情のキャパを超えた時に泣く。
予想以上の感動、悲しみ、絶望、喜び。
子どもは初めての感情が多くて、毎回キャパを超えているんだ。
でも大人はそんなに泣くこともなく、心が動くこともない。
泣く=重大なこと。
毎日毎日、何回も何十回も泣く彼らを目の前にすると自分にとっての重大なことがこんなに起こるんだって辟易する。
「そんなことで泣かないの」「大丈夫でしょ」自分だったら泣かないというハードルを共有しようとしてしまう。
でもそんなの聞き入れられないし、説得している間にまた泣くし、どうしたらいいのか分からなくなる。
こんなに泣いてるのは、自分のせいなんじゃないか。
そうやって自分を責めていく。
泣かれる、泣かせている。
そんなんじゃないんだ。
悲しくて泣いている人がいて、泣いている人をみて悲しい気持ちになっている人がいる。
それだけなんだ。
大切な人が泣いていたら誰だって悲しい。
罪悪感、苛立ち、悲しみ。
名前をつければたくさんたくさんある。
でもこの気持ちはそんな複雑なものじゃなくて、ただ自分の大切な人が泣いていたら悲しくて辛い。
そういうことなんだと思う。
親として、世間体が、何もできなくて、私じゃなかったら。
どんな気持ちも辛くて悲しい。
どうにかしたいのに、何しても泣き止んでくれない。
あなたのために言ってるのに、分かってくれない。
こんなに言ったのに、どうしてできないの。
そんな気持ちはたくさんあるけど、きっと一番辛いのはそれらじゃない。
こんなに頑張って、こんなにしんどい思いをして、こんなに追い詰められてるのに、自分のために泣いてあげられない自分。
それが一番悲しい。
一番大切な人は、親になっても自分でいいのに。
大切なひとを蔑ろになんてしないで欲しい。
大切な人が泣いていたら悲しい。
でも大切な人が辛いのに泣けないなんて悲しい。
だから私は、悲しい。
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