失敗して落ち込んだときにどうするか。
今日は自分のお話。
事実の再確認。
落ち込んだとき、同じことを何度も思い返しては落ち込む。あれって違う意味だったのかな、こうすれば良かったのかな、見損なわれたんじゃないかな、そうやって何度も思い出したくない場面を再放送し続ける。だんだん内容は変わっていって、だんだんと歪んでいく。イライラしたり、情けない内容になっていったり。その中でさらにいらない背景を足して、もはや事実が何か分からなくなる。むしろ分からなくすることが目的なのかもしれない。
歪めば歪むほど自分の心をえぐってきて辛くなる。だからそう言う時は感情を切り離して事実を確認する。意外に難しい作業で、ただそのことが「起こった」と言う確認をする。そうしなければさらに認知は歪んでいくから。
この人はこう思って言ったんじゃないか、あの人はこう思っていたんじゃないか、それをひとつづつ思い込みだと認識していく。ただその時そう言った。ただそれだけの事実にしていく。今更想像しても結局想像だし、当たってるかどうかなんて本人に聞いたって分かることじゃない。
起きた出来事と自分の価値の切断。
事実と切り離したら、それをただ認識する。自分が今度から変える部分を把握する。それで終了する。
評価が下がったんじゃないか、情けないと思われたんじゃないか、頭悪いと思ってるかななんて考えてしまったりするけど、それは事実じゃなくて、本当ただの妄想。自分の価値が下がったのではと不安になることもあるけど、起きた事実と自分の価値は全く関係がないってところが大切なんだと思う。
評価が下がったら自分の価値が下がると思ってしまうけど、自分の価値ってそいつが判断するものか?その一つだけでなくなるものならとっくになくなってないか?そんなものむしろ必要か?
仕事で何かあったからって自分の側面はもっとある。一面じゃなくて多面体だから。一つの面が気に入らない色でも別にいいし、むしろその面を他の人に塗らせることはできないし、起こった事実と自分の色は関係なくて別次元のことだから気にしなくていいんだ。
自分がいいと思わなくちゃ意味ない。
自分の色は自分が塗ればいい。自分がきれいだと思う色を塗ればいい。人にいくらきれいだと褒められても自分がきれいだと思えなければ意味がない。
自分の価値は自分が決める、なんてありきたりな言葉があるけど本当になりたいのは「自分の価値なんてどうでもいい」って思える自分。好きな色を塗って、好きな形でいる、好きな場所にいて、好きなものを見る。
自分が好きなもので自分を埋める。失敗は、失敗じゃない。たまたまそんなことが起こっただけで、自分の価値にはなんら関係ない。笑えること、しよう。
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