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解恨

大日月地神示を読みながら、夜に起きる謎現象を祓って、これまで積み重ねてきたカルマの猛攻撃に耐えたここ数年。

この世を支配している悪魔のような異次元存在たちを知り、その突破口への鍵が霊的な次元に存在していると確信して、常に内なる世界の自分を見張ってきた。

善なるものが最後には勝つのだと、人類が悟りの境地に至れば全ては調和がとれるのだと、希望を捨てないためにこのnoteを続けてきた。

それが大日月地神示によって世に広まることになると信じて。

現実世界では、起きてくる現象に、怒りを払い、自分を低きに置き、こうべを垂れて、善一筋で誠実であるようにと、心掛けた。


だけどなぜか言えないことがあった。

夜寝ている時、霊現象に遭う時は、わたしはその真逆の意識を使っていた。

霊世界と対峙する時は、負けると思ったら負けるからだ。

悪夢でわたしを刺し殺そうとするやつが出てきたら、そこを突破するためには、絶対勝てるという意志の強さが不可欠だった。

金縛り中は、上から目線でマウントをとってくる謎存在にひるんでいると、金縛りを解くことは出来なかった。

空間に閉じ込めようとしてくる悪夢の中で、その領域の外へ出るには、わたしは何でもできる、誰にも縛れない、という確固たる自信を持たなければ、結界からは出られなかった。

わたしが地獄のようなあちらの次元でずっと学んでいたことだ。


わたしのnoteをずっと見てた方は分かってたかもしれないけれど…
わたしはずっと、現実世界と夢の世界とでウラハラな気持ちでいた。

で、その裏表な気持ちを抱えたまま、ただこの世では霊的世界の自分とは分けて考えなければならないだろうと、整合性を保とうと抑えていた。

すべてを手放していくという悟りの道には、その意識は邪魔になってしまうからだ。

そしたらまた荒魂くんを爆発させてしまった(笑)


人間界的な考え方と、霊的次元の考え方は真逆だ。

この世では調和をとるために、どんな人にも分け隔てなく愛を持って接する。

霊的次元は、食うか食われるかの世界だった(苦笑)

でもそれが、ひっくり返るの意味であったと気づいた。高次元目線に入るには、それが必要だった。気が熟して、言えるようになったのだと。

神とは自然森羅万象、宇宙の仕組みのことであるけれど、この世を管理しているのはより高次元の意識存在たち、霊意識の集団だ。

神は裁かないけれど、かわりに霊的存在たちが裁いている。そんなイメージ。

悪魔退治にはその意識が必要不可欠だった。

神靈人として生きるとは、その意識を写し、生きることだ。

この意識を使えるようになると、現実世界では敵が出てこなくなる。わたしの現象界においてはもはや敵なしの状態だ。そういう人は出現していない。(わたしが見ている世界だけが、ということだ)

前回の記事を書いて、ようやくそれを言うことを解禁されたみたいだ。

わたしの心のウラハラもようやく消え、逆さまの世界が戻りつつある。


昨日は夫と数年ぶりに2人で映画を見に行った。

少しずつ関係性の雪解けをしているみたいだ。

見たのはすずめの戸締り。

そろそろ過去の因縁を閉じる時か。

まったく、わたしはどこまでも自分のシナリオに忠実だ。ムカつくぐらい。

でもきっとそれが、全体世界での、ワンネスへの一番の近道だ。

受け取れ。

健闘を祈る。

投げ銭大歓迎! 喜びは巡り巡って、あなたに何倍にもなって返ってくることでしょう。