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【坂めぐり】二枚橋と、はけの坂@(新小金井・東小金井)

【坂めぐり】二枚橋と、はけの坂@(新小金井・東小金井)
東小金井・新小金井エリア応援ブログ「ひが子としん子」#29

※「りら カウンセリング&コンサルテーション」がある、東小金井・新小金井エリアを広く紹介し盛り上げたい。そんな記事が「ひが子としん子」です。

 先日、“坂めぐり”についての記事を書きました。

 ひがこ・しんこエリアの南側は、「はけ(国分寺崖線)」と呼ばれるがけになっています。現在とは流域の違う古代多摩川が台地を削った、河岸段丘ですね。今では、崖の下には野川という小川が流れています。

 そのような地形ですから、ひがこ・しんこエリアにもいい坂があるのですよ(笑)。

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 東小金井駅から南に歩くこと20分、以前に記事にした「いちご橋」(はけを切り通しで下っていく西武多摩川線をまたぐ橋でした)を通り過ぎると、そこは「二枚橋の坂」です。野川にかかる橋が「二枚橋」ですね。

写真1・二枚橋の坂。右手の雑木林は、国際基督教大学のキャンパス、左手は西武多摩川線の線路。
写真2・二枚橋。正面左手が「二枚橋の坂」。

 坂の途中に、「古代遺跡の跡地」の看板がでていますが、当時をしのぶ遺構は何もありません。「はけ」は、古代人(縄文人とか)にとって住みやすい場所だったらしく、当時の遺跡が数多く見つかっています。野川を下流に1kmほど下った、三鷹市大沢には、当時の横穴式墓所が保存され、見学できるようになっています(こちらを参照)。

 二枚橋の名は、悲しい恋のお話に由来しているそうです。

その昔(江戸時代とか)、地主の息子と村娘とが、恋に落ちた。身分違いの恋は実ることなく、二人の仲は引き裂かれてしまう。絶望した娘は野川に身を投げ自害してしまった。以来、夜な夜な、娘の怨念が幻の橋と化し、(隣の“本当の”橋と)見誤って渡った者を野川に突き落とすようになった。

 今とは違い、当時の野川は湧水も豊かで、滔々とした流れだったのですね。

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 野川を上流に遡ると、はけにはいくつもの坂が作られています。「97階段」「みはらし坂」「むじな坂」…。二枚橋のエピソードといい、かつてのはけは、気を付けないと化かされるような場所だったのでしょう。

写真3・「97階段」。

 いまでも、緑豊かな場所だとお分かりいただけるでしょう。

(おわり)

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