差別について想像力を働かせてみた

アメリカでの出来事がきっかけにBlack lives matterが世界で話題になってる今、沢山の人が様々な意見を述べている。
それを見て、なんとなくモヤモヤした。
なぜか分からないけど。本当に大事なところに自分でしっかりと向き合った後に発した言葉というよりも、
ただその場の雰囲気や熱気に影響されて、何らかの顕示欲が働いて書いているという感じ。

その中で、一番しっくりきたポストは、後輩のストーリーだった。

後輩は、そのストーリーの中でこう言っていた。「自分自身に向けられた差別に正面から向き合い、自分自身の中にある差別に気づけたとき、初めて人種差別の当事者になれる」

しかし、差別が向けられたと感じた経験が無いからかもしれない。私にはイマイチその「自分自身に向けられた差別に正面から向き合い」という部分がピンとこなかった。そこで、想像力を働かせて考えてみた。

そこから
差別とは?悪意とは?臆病とは?勇気とは?・・・ってずーーーっとモヤモヤ考えてて、その過程すべてすっ飛ばして結論だけ言うと、

「自分が強くなれれば良い」

という所に一応は落ち着いた。強くなるために、私にはその傷に寄り添ってくれるような芸術作品や文学作品が必要だなって思った。今のところ。

その過程がこちら↓

○差別とは、「悪意」と共に、あるフィルターを通して人を判断したり接したりすることだと私は思う。

○じゃあ悪意とは?調べたら、人に害を与えようとする気持ちだって。私は、これは自分の中の臆病から生まれる気持ちだと思った。

○臆病と蛮勇の中庸が「勇気」だとアリストテレスは言った。勇気とは?

○この場合の勇気は、傷つく可能性のある心を持った人が、その傷に正面から向き合う事だと思う。それを必要以上に守ろうとすると、他人を傷つけることになると思う。だから、強くなる事が必要なんだ。

○傷つきそうになった時に強くなるなんて、実際カンタンなことじゃない。だけどそういう時、私に強さを与えてくれるのは、その傷に寄り添ってくれる映画や音楽、本だったりする。って思った。

以上。差別に向き合うために自分が強くなろうと思った話。そのためには私の場合は文学や芸術作品が有効だなって思った。

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