大学時代に手に入れた本当のものとは

私は高校生まで本当に「自由」がなかったな...と思う。
自由になりたいとは思っても、決められている枠組みから抜け出す勇気もなくて。
学校を休む勇気も、部活をやめる勇気も、ピアノを辞める勇気も、塾を辞める勇気も、受験を辞める勇気も...
それが私の世界の全てだったから。
その枠組みが無くなった瞬間に、私は無力な何かになってしまう。
圧倒的に守られていたから、その枠組みから外れてしまえばただの弱い、丸腰の子供だった。
全てに縛られた、緩やかな憂鬱の中で生きていた。
常に、決められたルーティンの中にいた。
時間は無限にあったのに、私の時間は無かった。
全てのものは、何かによって制限されていた。
本は無限にあるのに、決して私の魂に届くことはなかった。
図書館で未知のものに触れても、それは私の枠組みの中においてつまらないものに変わった。
もどかしすぎる毎日が送られていた。
ふつふつと湧き立つ好奇心の芽は静かに摘み取られていたような気さえした。
しかし、それらは摘み取られたのではなく、奥底に沈殿していただけだった。
大学という海に放たれ、その好奇心は爆発した。
たしかに私は無力な大学生だった。
周りの人が圧倒的な自由の中で手に入れたスキルや挑戦の意欲はもう無くなっていたが、
そのかわり、私の中には湧き立つ好奇心があった。
あの頃の憂鬱は何だったのか。
あの頃の違和感は何だったのか。
私はこれまでどこにいたのか。
それらが一つ一つ、紐解かれた。
私は、自分の長年入っていた檻の外観をそこで初めて目にした。
その時初めて「自由」について悟った。
檻の中にいる時も、いつかはこの檻の外から今いる場所を突き止められるに違いないと確信していた。
その確信が、現実となった日々だった。
それは側からみれば地味だったはずだがそれはそれは刺激的な毎日だった。
頭の中がフュージョンを起こしていた。
大学時代にやったこと。
それは自分の長年入っていた檻についてしっかり把握する事だった。

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