なんかしんどかった

 2022年の振り返りでもしておこうかなぁ、などと思って最初に思ったのが、今年はふとしたときにたくさん「しんど」って言ってた気がするなってことでした。特に9月以降。

2022年を振り返ろうなどと言って思い出せるのはここ2ヶ月くらい。

・ずっと繰り返してるな、って感じだった。
 確かに毎日違う景色ではあるし、街の看板とかを見て「この色ここに使うのか。」とか「ここにこれがおいてあるの不思議」とか発見もあったけど、だいたいこれを提出したらこれで、また日が暮れて、明るいうちに帰れなくて、また起きてみたいのがしんどかった。

・肩と腰がしんどかった。
 心配性ゆえなのかわからないけどなんか荷物が多くて、パソコンもなんだかんだほぼ毎日担いでいてずっと肩が辛かった。それに伴って首、腰までいっていて、マジでよくやったと思う。普通だったら休みたかった。

・そうはいうけど休めなかった。
 誰かが助けてくれるわけじゃないし、見てる側もこっちのことを今日あの子いないな、みたいに覚えてるのかわからないけど、なんとなく行かなきゃなって感じだった。寝落ちしちゃってるときは覚えておいてほしくないけど、逆に寝落ちしてたけど大丈夫そう?って心配してくれるくらいの距離感の人がいないのもしんどい。高校の追試になって泣いてるときに大丈夫だよ、って言ってくれた先生ありがと。
 都合よく、人の記憶にほどほどに残っていたいと思ってしまう。

・平熱の時間が増えた。
 前はもっとパッションで生きていたというのか、ちょっとした情報解禁できゃっきゃしてた。つまり熱の乱高下があった。最近はきゃっきゃよりも「あ、その日は○○の次の日だから無理だ。」とかやってもいないのに、「それその額払う価値ある?」とか考えてしまう。だから純粋に楽しめる人を尊敬しているし、そうありたい。
 あとこれは楽しみだけじゃなくてバリバリ働きたいからとシフトを入れまくったりするのにも共通する。

・打った球が返ってこない
 これは感覚だけど調子のいいときにバシュッ!ってちょっとぼやけるくらいの距離の壁に打った球が、絶対壁には当たってるのに足元にも返ってきていない。
 つまり気持ちと実際にズレがある気がする。荷物を引いてる自分とその荷物の端にギリ手をかけている感じもある。運動部のタイヤ引きのイメージ。どっちが身体で、どっちが精神かは自分でもよくわからないし、二元論じゃないかも。

・1人が楽だけど話したい欲もあった
 人と話さないと話すのは下手になるな、って実感した。言いたいことがすっとでないし、よくわからないところでつまる。伝わっているか不安でいらない修飾語が増える。しかもあとのせ。
 逆に話しすぎてしまって帰りで1人で歩いてるときとかシャワーを浴びてるときに思考がぐるぐるしてしまう。

・べったり付き合いたいわけじゃない。そんな都合良い人いない。
 今まで自分が恋愛するのが想像できなかった、というか向いてないだろうなって興味ないふりしてたけどやっぱりしてみたい気もしてきた。イルミネーションとか混んでるところにわざわざ行って何が楽しいんだとか思ってきたけどたぶんそれも楽しい。少しでも満たされるならしたい。でも相手が満たされるとは限らないから申し訳ない。やっぱり向いてないかも。
 友達として会っていて、ときめいちゃうことはあったけど恋愛との違いがわからない。
 それを知るために付き合うのもありなのかもしれないけど関係が変わるのも嫌だ。
 漫画みたいだ。どの漫画かわからないけど。
 すごく自分勝手。そんな都合がいいわけない。


 こういうことをぐるぐる考えててしんどい1年だった。たぶん睡眠が足りてない。来年の目標はちゃんと寝る。そして寝るためにやるべきことはシャキッとやる。シャキッとやるために寝る。

 またぐるぐるしてる。

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