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自分で考えているつもりで考えていない (人の意見に共感するのは怖い)

自分の価値観に近い考え方をしている人を見ると
何でも似たり寄ったりではないかと思い込んで
『この人が言っていることは正しい』と勘違い
して盲目的に従うようになる。

何を言っているかを重視した気になっているが、
実際は誰が言っているかを重視していることに
なる。

だから、人の意見に共感するのは恐ろしいこと。

共感ばかりをしていると自分の頭で考えずに
この人が言っていることは正しいと信じて
疑わなくなりそうで怖い。

人の意見で共感出来た部分だけを引用して
自分で一から考えたことだと思い込むのも怖い。

人の意見に耳を傾けるのは大事だと思うが、
賞賛ばかりをしても思考停止するだけで
ロクなことがない。

闇雲に人の意見を否定しろという意味ではなく、自分と考え方が似ていたとしても 賞賛や共感を
するだけではなく、
あくまでも1つの意見に過ぎないのは分かって
おきたい。

自分の価値観に沿った意見ばかりを素晴らしい
ものとして持ち上げる行為は思考停止を
助長してしまう気がして怖い。

共感しているのではなく、
自分が勝手に共感しているだけ。

そういう意識がないと自分が勝手に共感していた
相手が 自分の価値観に沿わない発言をしていた
のを目にした時に
(勝手に)『裏切られた!』と思ってしまうから。

相手からしたら 勝手に共感されて
勝手に裏切られたと思われるという
面倒極まりない態度に見えるかも。

この考え方も人が言っていたのを参考にしている
ので矛盾しているが、良いと思った考え方を
取り入れるだけなら問題ないと思う。

ただし、
良いと思った考え方をしている人の意見全てに
従うようなら危険。


(2024/05/03 22:09:04)
Youtubeの投稿に書いた文章の方が分かりやすいので貼り付ける。

共感も一種の宗教だと思う。
自分に近い考え方をしている人を本質をついていると
思い込んで何を言っても素晴らしいと賞賛しだす現象。

本質をついていると思い込んでいるから
誰が言っているかを重視しているのに何を言っているかを
重視していると勘違いする。
(この人は本質をついている!→この人が言っていることは
いつも正しい→過度な盲信と思考停止)

(本質をついている意見を信じている私は何を言っているかを重視している!→自分に近い考え方を本質だと勘違いしているだけで実際は無数にある意見の内の1つでしかない)

強すぎる共感は異なる価値観を薄っぺらいものとして
受け入れられなくなる原因の1つになり得る。

だから、自分と似た考え方の人には共感しているのではなく
「勝手に」共感しているだけ。

たまたまある題材についての考え方が結果的に似ていただけで
どういうプロセスでその考えに至ったのか、
最終的に出した問いに対してどのような考えを持っているか、
同じとは限らない。

考え方が似ているからといって私を理解してくれる!と
強い仲間意識を持つと、異なる考え方をしているのを
目にした時に「裏切られた!」と思い込んでしまう。

自分が勝手に共感しているだけというのは念頭に
置いておきたい。


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