さよならだけが人生だ
本当か?
とある人の自己紹介文の最後に「さよならだけが人生だ」と書いてあった。
気になり、調べてみたらどうやら有名な言葉。知らない自分が恥ずかしいが、そこはどうでも良い。この「さよならだけが人生だ」は太宰治の先生に当たる井伏鱒二が言い切った言葉。
勧酒という漢詩を訳したもののよう。最後に「人生足別離」という一文がある。これを井伏鱒二は「さよならだけが人生だ」と訳したそう。
知らなかった、無知な私は衝撃を受けた。この言葉を言い切られると、「本当?」と疑いたくなる。
が、しかし本当なのだろう。悔しいが、さよならだけが人生なのかもしれないと思ってしまった。
もちろん人生の醍醐味は人によって違う、当たり前だ。人生は他の誰のものでもなく、自分だけのものなのだから。
「さよなら」は別れの言葉。これも当たり前だ。人生に別れがつきものなのも当たり前だ。別れがあるから出会う。もちろん、出会うから別れる。
生きることに於いて、「別れ」は無くてはいけないもので、それがないと生きていることの意味を失ってしまうとも言える。
死があってこその生である。世の中は不思議なもので、終わりがあるから始まりがあるという。「終わり」を理解していない「始まり」には意味が生まれない。
その内面の話。「終わり」「END」が何か分かっていないのなら、「始まり」「START」はどうでも良くなる。
赤ん坊がおぎゃーと泣いて生まれるその瞬間を祝福しないようなものになってしまう。
「さよならだけが人生だ」ーー異論はない。もはや大賛成だ。
"いいさよなら"にすることができれば、それは"いい人生"であると言えるのだろう。
5年間、一人の男性と付き合った。しかし、お別れをすることになってしまった。
この別れも遅かれ早かれ来たものであることに変わりはなく、この別れがもたらした出会いもある。
後悔がないと言ったら嘘になるが、"いいさよなら"をできたということは胸を張って言うことができる。
後悔をしても、これは失敗ではない。し、間違いでもない。これがたったひとつの答えであるだけなのだ。
自分の人生、最終的に決めてきたのは自分である。「さよならだけが人生だ」、これをしっかりと胸に刻み、いいさよなら(別れ)にできるようにいい人生(時間)を過ごしていきたい。
と、ふと思ったのです。