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人生における自己決定権について。

ちょっーと題名が大きくなりすぎている感じは否めないけれど、自己決定権についての話をしてみる。日本がとか、世界がとかに、関わらず、自分の意思で大きな決定をするのは、難しいことである。家を買うとか、結婚する相手を選ぶだとか、転職なんかもそうだろう。
自分が人生の主役であり、自分が全ての決定権を持っているか否かということが、私の人生の幸福度に与える影響は非常に大きい。と私は思う。
行きたい会社も旅行したい国も食べたいものも、起きる時間も、極力自分が決定したいと私は思ってしまう。通常の日本的な教育を受けて、敷かれたレールの上を進んでいくような生き方をしてきた方々は、それよりもむしろ、親や社会が求めている道を選ぶことも少なくはないんだろう。しかし、私は違う。人生は短いし、自分で意思決定をして、自分が思う幸福な生活、精神、1日をできるだけ自分で支配したいんだ。
日本では特によくあることだが、母や父、もしくは祖母、祖父の考えに忖度して、自分の進路を決めたりする。データによると東アジア地域ではそういった傾向が比較的高いようだ。年上を敬う文化が根付いているのだろう。
もちろんそれでもいい。しかし、親や祖父母の意見なんて、結局は他人の意見に過ぎない。血縁関係があるからといっても思考も生活も時代も育った環境も友人関係も違う中で、親や祖父母の意見に従って生きる必要があるようには到底思えない。自分の力で道を切り拓くべきなんだ。私自身が作りだす個性的な人生を自分の手で創り出す必要があるんだと思う。いつまでも親の意見や顔色をうかがうべきではない。
また、親しい友達や職場の友人もそうだ。彼らは確かに自分の近しい友達であり、理解者ではあると思うが、彼らの意見にも極力影響を受けるべきではない。あくまでも自分の人生なのだから、自分の主体的なアクションで人生を前に進めたい。
誰かと比較する必要もまずない。自分勝手でいい。
自分が中心となってやりたいことをやる。それでいいのだ。
世界を知識として正しく知ること、これは必要かもしれない。真面目にお勉強をすること、それも必要なのかもしれない。ただ、そんなことをしたからといって、良い結果や人生の成功が生まれるわけではない。
やりたいことをやること。自分の後悔のないように、主体的に、強い意思を持って、人生を選択をしていくこと。これにこそ意味があるのだ。


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