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おとなだって、ひっぱって絵本 【もったいないばあさん編】

きょうも あの ばあさんが やって きた
もったいないこと してないかい?

もったいなーい もったいなーい

もったいないことをしていると、そう言いながらやってくる、癖が強めのおばあさん。どこぞの漫才師のいう「クセがすごいんじゃ」レベルでいうと、薬みたいな味がするのになぜかデンマークで大人気お菓子・ラクリスくらいだ。いや、アポロチョコレート食べる時に上のピンクと下の茶色を分けて食べる人くらいだな。

そんなおばあさんが「もったいない」ことをしてるとやってきて、「もったいない、もったいない」と言ってくる。

お皿に食べ物を残すもんなら、「もったいなーい」といって残さずパクパク平らげてくるし、挙句には顔の周りについているご飯粒までぺろぺろと舐めまわしてくる。当時、まだ1/2成人式も迎えていなかった私は、たしかぎょっとして顔を歪めていたな。

物凄い形相で「もったいなーい」と叱ってくるおばあさんは、ちょっと怖くて、変わってて。絵本に出てくる子どもは驚いて泣いてしまうくらいなんだけど。

でもどこか優しくて、愛があって、昔ながらの知恵で最大限に楽しむ術を持っているもったいないばあさんのことが、いつの間にか気になって気になってしょうがなくなってしまう。みじかくなった色鉛筆も、剥いたみかんの皮も、「もったいない」の呪文がかかるや否や、周りの友達がだーれもしらない魅力的な逸品へと大変身してしまうのだ。(にじいろえんぴつ、私もつくったなあ。)

贅沢なものは持っていなくても、普段よりちょっと手間がかかるとしても、そんなことを嘆いている時間がもったいない。今の自分の持ち合わせで、最大限に自分を楽しませられるような人間になりたいなあ、と『もったいないばあさん』を読んだ22歳の私は思うのでした。


「もったいない」の話を始める前に

おとなだって、ひっぱって絵本 というシリーズをしれっとはじめてみました。
(adobeが学生65%OFFだったので、初心者なりにガチャガチャと、イラレで遊んでいたら完成した偶然の産物をサムネにしました。)

そういえば、最後に絵本を読んだのはいつだろう。昔は、何度も何度も同じ絵本をひっぱり出してきては「よぎー!よぎー!(読んで、の意)」とねだっていた私は、どのタイミングで「絵本なんて子どもが読むもんだ!」と思うようになってしまったのだろう。

でも、大人になった今だって、自分のためだけに、ちょっと真剣に絵本を読んでみるのも案外おもしろそうな気がしている。小さな一冊の中に、こだわりがたくさん詰まっている絵本って、ものすごく魅力的だと思うのです。ことばに頼りすぎない、絵本だからこそ。

おとなだって、本棚から絵本をひっぱってきてもいいじゃない。

かくして、このシリーズを書き留めていくことになりました。そしてその1冊目としてひっぱり出してきた絵本が真珠まりこさんの『もったいないばあさん』だったというわけです。

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そもそも「もったいない」ってどういうイミ?

『もったいないばあさん』を10数年ぶりに読み返してみた。「うわ〜〜懐かしい〜〜!・・そうだそうだ、こんな話だったよな」なんてしみじみ思いながら読み進めると、子どもの時には気づかなかった文章を巻末に見つけた。

この絵本が、楽しく(「もったいないってどういうイミ?」に対する)答えを見つけるための手助けとなりますように。そして、もったいないっておもしろいんだ!という新たな発見をもって、遊びと工夫の中で今の時代に即した意味を感じていただければと願っています。
(引用:作者 真珠まりこさんの巻末メッセージ)

確かに「もったいない」って言葉、よく使うけど、どういう意味か深く考えたことないかも。英語に訳せと言われてもできる自信がない・・教えてgoogle先生!

語源を辿ると「もったいない」は「勿体無い」という漢字になります。(中略)本来、「勿体」は「物体」と書き、「物のあるべき姿/物の本質的なもの」を意味していたようです。この「物のあるべき姿/物の本質的なもの」を「無い」で否定するわけなので、「もったいない」というは「物の本体はない」ということを意味していたことになるのです。
(引用:https://toyokeizai.net/articles/-/153266?page=3)

なるほど〜。本来、もっと価値が認められるべきはずのものが、軽々しく扱われてしまっている状態を嘆くときに「もったいない」という言葉を使うということだ。水の出しっぱなしみたいに、何かが無駄になってしまうことというような意味合いはもちろんあるけど、検索してみると仏教思想に由来していた言葉だということがわかった。

つまり、すべて当たり前ではなく、何一つとってもすべては有難い(有ることが難い)ことであり、私たちは支えあって「生かされている」という真実が「もったいない」という言葉の根底にあるのです。
(引用:https://toyokeizai.net/articles/-/153266?page=3)

ここで『もったいないばあさん』の続編『もったいないばあさんがくるよ!』も読み返してみた。逆上がりができなくてヤケクソになっている男の子に対して、せっかく練習してるんだから、楽しくやらないともったいない!ともったいないばあさんが言ってくる場面がある。ちょっと想像力を働かせれば、逆上がりの練習も夢中になれるじゃぞ!と伝えるこのシーンに、「もったいない」の精神で人生を面白くする全てが詰まっているように感じた。

「当たり前」だという思い込みを一旦外し、そこにできた隙間にちょっとのアイディアと遊び心をひょいっと詰め込む。それだけで、日常をもっと楽しく生きられるようになる気がしてならない。

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もったいないばあさんが、くるよ

自粛疲れ、なんて言葉が出てきてしまっている今。行きたいところに行けないし、会いたい人に会えないし、やりたいこともできない。

自分たちは今、とっても大きなものを失ってしまっている感覚があるのも事実だと思います。

でもその一方で、”自分がいま持っているもの””そこにあるものの本質”に気付けるチャンスも、今なのかもしれません。


もったいなーい もったいなーい

ないものばかりに気を取られて、目の前にある大事なものを無下にしていたら。

あなたのとこにも、もったいないばあさんがくるかもよ。


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