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自分と向き合うということ

久しぶりのブログ更新。

今日は少しこの半年のことを思うままに綴りたい。

昨年の10月くらいに、ある講座を受講することに決めた。「心の在り方」をつくる講座

コアエッセンスヒーリング実践講座


私自身、祖父、父が元々キリスト教で、
父は現在は別の宗教に属している。

そんなこともあってか、それとも自分自身が
そういう部分に元々興味があったのか
いつも心のことには興味があって、

心についての本を読んだり、学んだり
ヨガや瞑想を取り組んでいた時期もあった。
 
 
でも昨年10月頃は自分自身のビジネスを
創っていきたいという気持ちが強く、

今は心のことじゃないかなと考えていて
実際にビジネス系の学びを受けようと考えていた。

そんな中でパートナーが突然始めたこの講座。

正直え?なんで今の時期に心のことを学ぶのかな?と思ったけど、実際に講座が始り、その動画を少しだけ横から覗いてみたらその瞬間に僕は受講しようと心で決めていた。 

その日に講座申し込みをしたい旨を伝え、彼女とは別の大阪クラスで受講することになった。 

ひとつひとつ仲間と学びを続ける中で、ぼくが見たくない一番奥にある怖さに出会った。         

それは人と深く繋がれない怖さ。自分を曝け出すと嫌われるんじゃないか。自分を曝け出すと周りに誰もいなくなるんじゃないか。

そんなこと普段思っていないはずなのに、心の奥にある不安と恐怖、そして寂しさ。

「どうせぼくを深くは理解してくれない」

これが僕の奥にある、小さなぼくがつぶやいていた言葉。そんな自分を見せないように、一生懸命頑張ったり、おちゃらけてみせたり、でも奥の奥の方ではいつも寂しさがあった。 

それに気づくと同時に、僕はパートナーに対して自分の想いを下手くそながらいっぱい出してきたことに気づいた。       

彼女はとても繊細であり、感性が強く、感情も強い。笑

だから、気になることがあればなんでも言ってくるし、自分の気持ちをダイレクトにぶつけてくる。

そんなふうに本気で向き合ってくれる彼女に対して、ぼくも気付けば、自分を曝け出せるようになっていた。

この講座を受講するきっかけをくれたのも彼女。いつも絶妙なタイミングで僕に必要なきっかけをくれる人。 時にそれは大きな変化にもなるのだけれど、僕自身の魂が望んでいるのだから仕方がないのだ。


不思議なことで、一緒に学ぶ仲間は性格も境遇も違うメンバーなのだけど、みんなどこか共通する気持ちを抱えていて、「分かる」感覚が多い。

半年間のベーシッククラスが終わり、今はアドバンスクラスを受講している。      

今でも僕の中には相変わらず寂しさはある。

でも、その気持ちを受け止め、寄り添い、その奥にある僕の願いを見つめることができるようになった。

そして、その先にある未来。この頂いた命をどうこの世界で使っていくのか。

自分自身の闇を感じても、その奥には必ず大切な光がある。深い深い暗闇ほど、大切なものが必ずその奥にはある。

それは必ず、どんな人にもある。

ぼくはそんな世界を作りたい。葛藤を繰り返しながらも、誰もが自分の光を見て、この世界をハートで楽しみ喜びを共有している世界。

だからまずは自分自身がそれを体現する。何度だって諦めない。だって僕は、信じているから。

自分の奥にある光を、全ての人にある光を。


Micchi

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