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武術的老子解説

原文

天下みな美の美を為すを知る。
これすでに悪なり。
みな善の善を為すを知る。
これすでに不善なり。
ゆえに有と無が相生じ、難易相成り、長短相比べ、高下相傾き、音声相和し、前後相従う。
これを以って聖人は無為の事によって不言の教えを行う。
万物は作りながら辞めず、生きながら有せず。
為して恃まず、功成りてそこに居すわらず。
それただそこに居すわらず、これを以って去らず。

解釈

天下の人々はみな美しさばかりを求め、その方法をいろいろ考えては行う。
これはすでに美ではない。
みな善を為すことで善人になろうとばかりする。
これは偽善だ。
ゆえに有と無が同時に存在し、難しさとカンタンさが同時に存在し、長いと短い、高いと低い、音と声、前と後ろが同時に存在することがわからない。
聖人は、これを導くために何もしないことによって、教えない教えを示す。
万物は生み出しながら止むことはなく、それを自分のものとしてとっておくことはできない。
過去に実績にすがることなく、成功してもその座に居座ることはない。
ただ、そこに居座るのではなく、そこを去ることによって居続けるのだ。

コメント

技の見栄えの良さ、懇切丁寧な解説、そんなものばかり工夫しようとする。
技の美しさは機能を追求していく中で現れる。
善人ずらして懇切丁寧に説明されればされるほど、わからなくなるのが技だ。
言葉はえてして技の習得の邪魔をする。
寄せ集めた知識は見当はずれな固定概念を生み、技の本質を見えないようにする。
技が優れていても、優れた師とは限らない。
理論を重んじ、独自の体系を作り、懇切丁寧に説明する。
私は、こういった人に習った人で、実力のある人に出会ったことがない。
優れた師は、言葉がおおざっぱ、言う事がその都度違う。
擬態語や擬音語を頻発し、弟子をけむに巻いたような楽し気な表情で技を見せる。教えないときは数か月も放っておき、教えるときは一気に教える。
これこそが、優れた師であると思う。

昔はそのような人たちが大勢いたが、その人たちに習ったひとたちが、理論と体系を整理して、混沌としたものに名前をつけ立派なものにしてくれたおかげで、弟子の成長は止まり、教えの本質が忘れ去られようとしている。
とても残念に思う。

不言の教えこそが、本当のことを伝える。

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