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矛盾に対して正気でいられるのは。

noteを始めてもうすぐ1ヶ月が経つ。

ありがたいことに、「note読んだよ」と感想を伝えてくれる人がいたり、「言葉遣いや文章が好き!」と褒めてくれる人がいたりして、それらを耳にする度にとてつもなく温かい気持ちになっている。その温かさだけで極寒を超えられんじゃないかっていうくらい、心がぽかぽかする。

正直な話、誰かに何かを届けたいと思って書いているというより、自分自身の感情を認識するための手段でしかないから、まさに今これを読むために時間を使ってくれている人、今まで読んでくれた人には到底頭が上がらない。

そんなこんなで、のんびりまったりゆったり、思ったことを綴らせてもらっている今日はあいにくの曇り。白黒つけたがる私にとって、晴れでも雨でもないこの状態はなかなか許し難い。天気に対して許すも何もないけれど「ああ、もう。」となる。もはや言語化する気さえ失せてしまう。

そして、曇りといえば、ある文章を思い出す。

生憎天気予報は晴れでも雨でもなく、曇りの方が多い。こんなに白か黒かを決めたがり、この色を身につけたがるのは、私たちが灰色の存在だからではないですか。

20代で得た知見

1つの事象に対して馳せる思いは決して1つとは限らなくて、日々相反する思いに悩まされる。例えば、月曜日の早朝は「まだ寝ていたい」と「仕事に行かなきゃいけない」、華金は「早く家に帰りたい」と「潰れるまで飲みたい」という、物凄く厄介な往来をする。結果、迷子になる。自分がどうしたいのかを見失う。こうやってnoteを書いている今も「ぼちぼちまとめたい」と「まだ書いてみようかな」と、まるでやる気を試されているような状態に陥る。

しかし、noteに限っては冒頭に述べたように、読んでくれる人がいると分かっているから、相反する気持ちに、「矛盾」に対して正気でいられる。自分がどうしたいのか見失っている時、いわば、灰色の存在である時、白か黒を身につけさせてくれるのは、誰かの存在やそれから発せられる言葉だったりするのかもしれないと思う。

つまり、簡潔にいうと、「日々関わってくれる人達、関わりないけどnoteの投稿に反応してくれる人達、ありがとう、愛!!」ということ。反応してないけど、実はひっそり読んでたよという人がもしいれば、是非声をかけてほしい。「あ」だけでもいいから、メッセージがほしい。ありったけのありがとうを伝えたい。



全然簡潔じゃないし、まだまだ感情をうまく出せないけども、5月も思ったことをマイペースに綴っていくので、どうぞよろしくお願いいたします。





やっぱり「あ」だけじゃ嫌かもしれない。






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