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最高に自己中心的なメッセージ。

日々、時間とやるべきことに追われていると、気付いたら大事なヒト達に思いを馳せることを忘れてしまっている。たとえば、LINEでメッセージのやり取りをしていても、どこか言葉に気持ちが乗っていないような、中身のない器だけを渡している、みたいな。忙しさから抜けて一息つく時、ようやく「忘れてたけど、そういえば」と思い出す。「大事なヒトだった」と思い直す。

時間という激流に飲み込まれている間、自分のこと以外に目を向ける余裕なんてまるでない。たとえ、親友であっても、先輩後輩であっても、恋人であっても、家族であっても、皆同じ。等しく忘れる。

思い出すまでは、基本的に無関心な状態に近いと思う。もっと言うと、その存在そのものが最初から無いような感覚。自分の中にある大事なヒト達リストが真っ新になる感じである。

だからこそ、思い出せた時の安堵感は尋常じゃない。大事なヒトを大事だと思い直せて良かったと思うし、そう思える自分自身にさえほっとしてしまう。

とはいえ、逆のパターンもある。

思い出すところまでは一緒だけれど、思い出したとて何も感じないケースが極稀にある。大抵、この場合は自分のメンタルや体調に左右されているのだけれど、思い出した時に「大事だ」と思い直せなければ、そこで見切りをつけてしまう。物理的にも心理的にも距離を空けたくなってしまう。我ながら酷だなあと思うし、潔く決断する場面を間違ってるぞとも思うけど、見切りをつける時の自分も確かに自分。しかし、3日も経てば「何であの時あんなこと言っちゃうかなあ、何であんなことしちゃうかなあ」って後悔したりする。すごく厄介。本当に厄介。なんて自分勝手なんだって思う。

そもそも何でこんな文章を書く羽目になったのかという話をしてしまうとキリがないから、いつかのnoteで書けたらと思うけど、1つ明白なことは、大事なヒトはやっぱりどこまでいっても大事だということ。

だから、わたしはもっとその事実を実感している時にこそ本人達に「大事に思っているから!!!」と伝えなきゃいけないし、環境に左右されて判断を誤るような状態にある時でも思い出すように、思い直せるように、自分自身を律しなければいけない。

これは自分への約束であるし、現に関わってくれている人達への示しでもある。

いつもインスタのストーリーに載せるけど、これは自分のためだけに認める、運良く大事なヒト達に届けばいいなという最高に自己中心的なメッセージ。

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