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完璧な先輩

 仕事が終わった金曜日の夜、僕は先輩の大崎さんと二人で居酒屋にいた。
 大崎さんは社歴で言えば僕の3年先輩だが、実年齢は6歳離れている。そのため、少し歳の離れた良い兄貴分だと思っている。
 僕たちが勤めているのは、業界最大手の書店だ。最大手とはいえ昨今の出版不況から分かるように、待遇はたかが知れている。給料は安いし、残業時間は長い。平日をなんとか乗り切るので精一杯だ。そして休日はほとんで布団の中で過ごしている。

 大崎さんは身長が180センチある。顔が小さく、妻夫木聡似のハッキリとした顔立ちだ。
 学生時代は国際政治学を専攻しており、かなり偏差値の高い大学を出ている。頭の回転が早く、心地よい質問をしたり相手の話を広げたりするのが巧い。おまけにどんな話題にもついていけるだけの知識の幅がある。話をさせれば、理路整然かつかなりのスピードで論を展開できる。
 学生時代はずっと野球をしていて、補欠ではあるが甲子園に出たこともある。メジャーリーグが大好きで、どのチームのGMがどんな思想・哲学の下どんな選手を取っているのか、選手達はどんなデータを残しているのか、瞬時に答えられる。何十年前のリーグ順位も、今のマイナー選手の年俸だって朝飯前だ。もちろん日本のプロ野球に関してもほぼ同様の知識を持つし、サッカーだろうがバスケだろうが相当深い話にまでついていける。休日は野球とサッカーとバスケを、戦術盤とパソコン片手に観て終わるらしい。僕は海外サッカーくらいしか観ないが、大崎さんはどの話題にも示唆に富んだ返答をしてついてきてくれる。
 大崎さんには大学時代から10年同棲している彼女がいる。彼女はミスコンで優勝経験があるらしい。当時大崎さんは学園祭を取り仕切る実行委員長をしており、その縁で知り合ったそうだ。彼女とはまだ結婚していない。結婚を急かされているそうだが、のらりくらりかわしている。散々学生時代遊んできたそうで、今更浮気したいというわけではない。ただ、人と暮らすのに向いていないと感じることが増えたらしい。
 大崎さんは若くして、関東地区の発注管理をほぼ一任されている。若手の中では珍しい本社勤務で、誰よりも仕事ができるし人当たりもいい。おまけに語学も堪能なので、海外の業者と直接やり取りもできる。当然給与も多い。
 それに比べ、僕は店舗で副店長をしている。副店長といえば聞こえは良いが、要は雑用係だ。僕が勤務している店舗には店長と僕とバイトしかいないので、店長・バイト両方に気を遣い続けている。業務量は多く、管理職ほどの給与は出ない。割りに合わない立場だ。
 彼のプロフィールを聞けば、男性ならば少しは顔をしかめるだろう。大崎さんと話しているときの女性社員は、僕と話しているときよりもずっとにこやかだ。

「大崎さんは何を飲みますか?」
「私はハートランドビールを飲むよ」
「なんですかそれ」
「ハートランドは軽くて飲みやすいビールだよ。味わいでいえばヨーロッパ系のビールに近いかな」
「相変わらずなんでも知ってますね」
「昔はよく酒を飲んでいたからね。今はほとんど飲まないけど。知識をインプットするのが好きなんだよ。中毒みたいなものだね。詰め込まずにはいられない」
「気持ち悪い人ですねえ」
「よく言われるよ」

 僕は大好きなジントニックを注文して、乾杯した。

「大崎さんはお笑いとか観るんですか?」
「もちろん好きだよ。賞レースなら予選から観るタイプだね」

 この人はお笑いまで網羅している。穴がどこにもない。

「好きな芸人さんは?」
「どこまで深い所まで言って良いか分からないけどね。有名どころで言えばNONSTYLE、コアなところで言えば囲碁将棋かな」

 この人は大阪吉本のメジャー芸人から、東京吉本の勢いある若手まで押さえている。そつがない。話を聞いていると、賞レースの年代と順位はほぼ全て頭に入っているらしい。

「じゃあ大崎さん、映画とか小説は何が好きなんですか?」
「そういうものはあまり興味が持てない。学術書や参考書、自己啓発本はよく読むけどね」
「そうなんですか。僕は小説をよく読むんですよ」
「ゆっくり本を読んでいる時間がないんだよ笑」

「大崎はなんでもできて誰からも好かれて、羨ましいです。生まれつきの成功者って感じです。僕の好きな曲の歌詞に「生まれ変わるならまた私だね」という歌詞があります。僕は生まれ変わるなら大崎さんですね」
「私を持ち上げたって良いことないよ笑 それに私はそんなに人生が上手くいっているとは思わない。私は私で仕事や彼女のことで悩んでいるよ。負担が大きすぎる仕事に、結婚を待たせ続けているけど踏ん切りがつかない彼女。他にも色々な問題がある。どれもにっちもさっちもいかなくて、病みかけているよ。仕事中も家でもほとんど悩みで頭がいっぱいだし、この間なんかあらゆる体調不良の症状が出て、心療内科でセラピーを受けてきたよ」
「大崎さんがそんなに悩むんですか」
「私はそつなくこなしている風に見せるのが上手いだけなんだよ」

 僕は大崎さんのことを嫌いになりたい。なんでもそつなくこなし、モテて、上司からも部下からも評価されている。そんな人間のことを好きになれるほど成熟してはいない。けれども、大崎さんは根の人間性が非常にいい。彼の話は大抵、自分がいかに優れているかという結論に落ち着く。しかし、決して自慢しようという意図はない。むしろ場を盛り上げようというサービス精神が感じられる。そんな話を聞いているうちに、最終的に好きになってしまう。もちろん女性陣に対しては「そう単純な話ではないぞ」と僻んでしまうが。

「むしろ私は君が羨ましいんだよ。君は達観しているように見える。自分を飾ろうとも大きく見せようともしない。将来に不安を抱いているそぶりもない」
「したくないことを頑張る、ということに価値を見出せないだけです。他人から見て格好良くなることに熱意が持てないから、モテないし大抵の人には評価されません。達観しているんじゃなくて、いつだって今がピークであとは社会的に堕ちるだけだと思っているだけです。そりゃ不安もありませんよ。上がらないと分かっているので、どれだけひどい状況になろうとなんとかするしかないんですから」
「その達観した感じを、私のくだらない知識と交換してくれたらありがたいんだけどなあ」
「僕の脳量じゃすぐ忘れておしまいです」

 二人は無言でハムカツを食べた。揚げたてで熱々、衣もサクッとしていた。その後話のトピックは、僕の好きな海外サッカーに切り替わった。いつものように大崎さんは、純粋かつ明晰な気持ちのいい見識を披露してくれた。

 これからも大崎さんとは話していきたい。彼と話していると、自分には良いところが一個もないのではないかと思えてくる。自信が全て打ち砕かれる。でも、そうして打ちひしがれた地べたからしか見えないものがある。たとえば僕は、自分だけしか理解できないような、意味がなくても楽しいことを見つけようとしている。それはとても素晴らしいことだ。今は「自分の長所をきちんとプレゼンする能力」を身につけるのは後回しにしよう。小説を読むという、多くの人から見れば時間を無駄にしている行為に没頭しようじゃないか。


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