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『グレート・ギャツビー』を舐めていた…

 『グレート・ギャツビー』を読みました。スコット・フィッツジェラルドが書き、村上春樹が訳したバージョンです。つまらない本なんだろうなと思ってたら、半端なく面白い本でした。一度読み始めると止まりません。親知らずを抜くために行った大学病院で読み終えました。それくらい推進力を持つ本です。

『グレート・ギャツビー』にもスコット・フィッツジェラルドにも、親近感を持っていなかった

 読む前は、この本のことを舐めていました。
 確かにこの本を好きだと言っている人は多い。書く小説はどれも面白い村上春樹も、一番好きな小説だと公言している。
 でも、あらすじをアマゾンで調べても気分が乗らない。だって、主人公のジェイ・ギャツビーはいけ好かないお金持ち。「お金持ちの話!読みたい!」って人はそんなにいないでしょう。いるとしたら、同じくお金持ちぐらいなのでは。そんなギャツビーはどうやら、ある女性に熱烈な恋をしているらしい。あんまり興味持てないですよね。楽しそうで良かったじゃん、って感じで興味が尽きます。
 おまけに、作者のスコット・フィッツジェラルドもなんか鼻につく。彼は若くして、作家として頭角を現す。1920年代のアメリカという空前の好況に沸いた国で、時代の寵児としてもてはやされる。そんな彼の成功へのモチベーションは、スキャンダラスで超美人のゼルダと結婚することだった。シンプルで良いなあスコットは。という思いを私は抱く。同時に、彼のクリスプかつ情熱的な生き方は素敵だなあと思ってしまう。一人の女性のために頑張るという感覚が、私にはどうにも理解できません。でも、いつかはしてみたい。
 ちなみに、ゼルダはちやほやされることに全てを賭けているような女性だったそうです。もちろんあのスコットがベタ惚れした女性ですから、魅力的な人だったのでしょう。スコットはおそらく、自分と真逆だからこそゼルダに惹かれたんじゃないかな。ある側面では徹底的にスポイルされていたゼルダ。でもそんな彼女と結婚して生活を共にすることで、自分に足りない何かを埋めてもらっていたんだと思う。
 私は、はっきり言うとゼルダのような女性が本当に苦手です。しかし、同時に強く心惹かれます。そういう感情のブレのようなものを乗りこなせたスコットに嫉妬していました。良いなあ、スコット。かっこいいぜ。


『グレート・ギャツビー』に出会い、ノックアウトされる

 村上春樹作品をほとんど読み終えた私は、図書館で次に読みたい本を探していました。目の間には、『グレート・ギャツビー』が。私は、「村上春樹はこの本が大好きだと言っていた。でも、村上春樹もスコット・フィッツジェラルドもこの本もみんないけ好かないしな。どうしようかな。」と迷いました。とりあえず、冒頭だけ読んでみました。そこで、完全に魅了されました。なんて魅力的な冒頭。

「誰かのことを批判したくなったときには、こう考えるようにするんだよ」と父は言った。「世間のすべての人が、お前のように恵まれた条件を与えられたわけではないのだと」
第一章、P9

 この本はいけ好かないお金持ちの話ではなかった。過度に内省的な主人公の話でした。私もよくこれに近い考え方をします。「育った環境が異なる我々は、価値観も各々大きく異なる。それなのに批判したって仕方がない。歩み寄り、共存できる妥協点を探す方がよっぽど建設的だ。今それができないんだったら、距離を取るしかない。そうでないと、状況は悪化するだけだ。誰かを批判して得られるものは、刹那的で脆い自信だけなんだ。代わりに、自分では思いもよらなかった喜びを享受する可能性を、潰している。」みたいなことを私も考えています。
 ただ、こうして年々あらゆる人や物と距離を取るようになり、どんどん孤独にはなっています。もうちょっと何かを一時的であれ断定して捉えたり、合わない人とゆっくり関わっても良いんじゃないかな、俺。
 自分とは異なる誰かを批判し続けている人はいます。それが趣味なんじゃないかって人もいます。そういう人に対しては、「自分が定めた生き方を堅持するのに精一杯なんだな。その上、その生き方を本心では認められないんだろうな。それか、別種の生き方をどこか羨ましいと感じているんだろうな。」と思います。そして、そういう要素は間違いなく自分にだってありますね。



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