平凡な人間の平凡な日曜
今日は「NBAインシーズントーナメント決勝」という一大イベントを朝一で観た。合間に洗濯物を取り込んでたたみ、布団を干した。炊けた米と昨日買ったお肉はラップに包んで冷蔵庫に入れた。鏡を磨き、昨日の家計簿をつけ、手帳をチェックした。
その後新宿の歌舞伎町に行って30分ほど散歩した。ホストクラブやキャバクラなど、夜系のお店がたくさんあった。華やかな世界だ。
トー横にはあまり人がいなかった。中学生くらいの子が多かった。中学生特有の、集団における立場を異常に気にする感覚が伝わってきた。どのグループにも、グループである以上そういう自意識があるみたいだ。地雷系最高。
お昼は寿司の食べ放題に行った。36貫までは順調だったが、そこから急にお腹いっぱいになった。お酒も飲んで食欲増進を目論んでいたが、3貫しか食べられなかった。食べ放題は楽しいので、最終的に苦しくなるほど食べてしまう。大食いはほどほどにしたい。
歌舞伎町散歩や昼食のときに、気ままに過ごせて楽しかった。だが同時に寂しかったので、恋愛について考えていた。食べ過ぎて帰りの電車ではうたた寝していた。
家に帰って来て、東畑開人の『なんでも見つかる夜に、こころだけが見つからない』を読んだ。先日友達にこの本を勧めたところ、彼も東畑さんにハマり全ての著作を読んだらしい。そのとき「シェアの関係とナイショの関係」は別だという話を彼としていた。そのトピックを思い出したくてこの本を読んだ。
シェアの関係は傷の舐め合いだ。「わかるよ、しんどいよね」みたいな。一方、ナイショの関係はより密な「わかってもらいたい」という感情のぶつかり合いである。友人や学校・職場の人とはシェアの関係を、家族や恋人とはナイショの関係を築くものだろう。では学生時代の恋愛や職場恋愛は、どちらなのだろうか。
その後スポーツセンターに行こうと思うも、大食いによる血糖値の跳ね上がりで気付いたら寝ていた。起きたらスポーツセンターは閉まっている時間だった。今日は安息日といこう。
布団に入るまでずっと、恋愛について考えていた。今年は色んな人に助けてもらったおかげで良い一年だった。