自己紹介

母国語のありがたさ

 最近国外にしばらくいて、深い話ができる母国語のありがたさを実感しました。英語を使い続けていると、滅多なことがない限り表面的な話に終止してしまいます。そのため、母国語での深いやり取りが恋しくなります。そこでふと、「私の友人はどういう人なのだろう。意識すれば、より詳しく知れるのでは?」と思いました。友人と遊ぶ際には、彼らがどういう人なのか、より色々聞かせてもらいたいです。その時に自分のこともきちんと話せるよう、自己紹介の内容を整理しておこうと思います。それも、職業や趣味、特技といったものより一段階私的なものです。

センスがない。幼稚園・小学校

 私の特徴を一言で表すなら、「センスがない」です。私にはあらゆる種類のセンスがありません。何かを教えられて、あるいは学ぶよう促されて、理解するのにとんでもない時間がかかります。幼稚園生のときからあらゆる局面において、周りの友達が天才に見えていました。そのため幼稚園でも小学校でも、どう振る舞うことが正解か分からず、駄目なやつとして軽んじられていました。

おかしな方に行く。中学・高校

 中学校に入り、ようやく集団生活におけるコツを掴みます。どうすれば学校という空間において、快適に生きられるのか?「求められる能力を察知して、それを得ていけば良いんだ」と気付きます。運動能力、学業の成績、部活道での活躍、円滑な対人関係、ルックス、行事での活躍、語学力など。こういったものを得ていけば良い。それだけで良い。趣味なんか、楽しいことなんか、必要ない。という考え方をするようになります。こうして、中学・高校と学生生活をそれなりに謳歌します。物語における悪役みたいですね‥

承認欲求の肥大化

 こうした考え方がエスカレートしていくとどうなるか?とにかく承認欲求が肥大していきます。なぜなら、みんなに認められるための能力を得ることしか考えていないからです。そして、上手く行けば気持ち良い思いができるからです。とにかく、優秀だと思われたい。凄いと認められたい。尊敬されたい。有名になりたい。そう思い、大学受験で難易度の高い大学を志望します。

大学受験が上手くいかない

 そして、落ちます。そこで浪人して、もう一年勉強します。勉強し過ぎておかしくなります。勉強がそこまで好きではないのにのめり込もうとして、失敗します。その時、こう思いました。「これができれば相手に、思ってもらいたいように思わせられる」という動機では、最大限の努力はできないな、と。「これがしたい、知りたい、表したいんだ」、「これには自分なりの意味が見出せる。あるいは、意味がなくても良いから、やりたいんだ」といった動機でないと最大限の努力はできない、と気付きました。「功利主義的な動機では、好きで楽しくてやっている人には最後の最後で勝てない」というのがその時得た教訓です。打算的な努力を続けるのは不自然な行為です。必ずガタが来ます。

大学生になり、引きこもる

 加えて、そうして失敗した人間に、システムは非常に冷たい対応をします。ただ駄目だった人間として、誰にも褒められず認められず生きていかなければなりません。私は大学生になり、「今までの人生はいったいなんだったのだろう?何も得られず、楽しいことやしたいことは何もない。これから先、どうやって生きていけば良いのか全く分からない。」と思いました。そして、家に引きこもり外に出られなくなりました。他の人がなぜあんなに楽しそうに生きているのか、意味が分からなくて怖かったのです。

認められることは手段であり目的ではないと、ようやく気付く

 それから色んな人に助けてもらい、「認められるということにそこまで価値はない。承認や評価を過剰に追い求めることは、自分が欲しいものを分からなくさせる。」と思うようになりました。そして、学歴や職歴や稼ぎ、承認や評価といったものにあまり興味を持てなくなりました。誰もが信用するシステムを盲目的に当てにすることはできなくなりました。

システマティックな存在になって、どうなるのだろうか

 自分をシステマティックな(求められる能力を得て、競争に勝って多く稼ぐ)存在にして、地位を得る。そして空いた時間で趣味を楽しむ。そういった生き方をすることは、私には難しいです。自分を社会的に律し続けた果てには、いつか心か身体が壊れると思います。いつか虚しくなる。いつか、頑張れないし続けられない日が来る。酒やタバコやギャンブルに逃げるようになる。自分とは異なる者を見下して、心の安定を図るようになる。自分に平然と嘘をつくことに慣れる。誰も愛せなくなる。誰かから学ぶ、ということができなくなる。そうなっても、もう誰も助けてはくれません。信用していた社会というシステムは、耐えられない者を必要とはしない。必ず見捨てる。そんな気がします。

自分を守りつつシステムと共存するには、どうすれば良いのか

 だからこそ、「これがしたい、知りたい、表したいんだ」「これには自分なりの意味が見出せる。あるいは、意味がなくても良いから、やりたいんだ」といったものを見つけたいです。これらを持って、自分の身を守らなきゃなと思います。そういったものを仕事にしたうえで、生活の糧を得たいです。人間らしさをある程度保ったうえで、社会システムと共存したいです。結局のところ、我々はシステムに生かされていますから。
こうして生きていかないと、終わらない消耗戦に力尽きるのではなかろうか、と思います。


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