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真剣勝負な

私は、よっぽど酷い事をされ続けるとこいつは敵だなと、激しく無視、つまり気にしない、もう情報や思いを与えないというドライな仕返しができる。

だが、1回や2回のミス、若さ故のミス、ミスというかこいつは単なる時間泥棒だなと思っても許す。なぜなら私もきっと許されてきた。傷付けたり、情報を与えなかったり、そんな事したくないし、コストも労力も怠らない。悩むけど信じようと、そうしてきた。

だからいっぱい傷付いた。自分が。いいおっさんになっても、10代や20代同様、実直に壁にぶつかってはその薄ら笑いの、上から目線の、嘘吐きの輩に馬鹿にされ続けてきたんだと思う。コストも無駄だった。

ある日気付く。これはよっぽど酷い仕打ちを受けているという事だと。信頼構築の道はこの先には無い。いや、やり方を変えればある。変わるのはいつも自分。相手に期待してはいけません。そこで相手が一生素直にアクションを変えない、つまり自分で味付けに拘っている。残念だが敵だ。そこは、見抜く必要がある。

反面教師である。自分は実直に、素直に変える。敬意を持って接する。スタッフ、現場、バイプレーヤーに。皆から私への敬意などはどうでもいい。ただスタッフ、現場、バイプレイヤーに敬意を表さない輩に、私は最早情報や思いを持たなくて良いんじゃないか。

それは怖しいことだと私は自分でも思う。輩が、小手先のアクション変更をして私を騙そうとしているのだからと、輩を見離すことを。実直なアクションを信じたかったからだ。でもリソースは限られている。

私には軸がある。私が死んだら終わる軸にしたくない。輩に私を終わらせられる訳にはいかない。


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