相違価値観、共存共栄、規定の重なるところ

気がつけば在宅ワーク10年目。世間もリモートワークって言葉がだいぶ広がってきたように思う。

10年前、ひょんなことから前職の会社の代表になる人物の仕事をさせてもらえるようになり、そのまま賃貸の一軒家で作業していたことから、自然とリモートワークになった。

必要なものは、パソコンと電話。その頃、wifiのモバイルも主流に使用できるような料金や環境になり、阿蘇の山奥のど田舎で、光も届いていないからと、熱くなるdocomoのwifiと苦楽を共にしたっけ。

今年8月に移籍したが、代表は同じで、仕事の環境も同じ。会社の提供しているサービスが違うだけ。私のやることは、同じというよりも、むしろ、前の会社でやってたことを、何もない会社に動いたから、またゼロから、会社の性格に合わせて構築するといった具合だ。

「事務局」や「法務」の仕事はおもしろいもので、様々な人を相手にする。移籍前は法務部だから濃い案件も多かったっけ。一般的には嫌がられるクレームやトラブルの処理、未払金の支払相談(支払ってもらう方)等々、人が嫌がる精神的負荷は少なくないけど、やりがいのある、個人的には非常におもしろい仕事だと、誇りを持っていた次第。

10年も経てば、対相手の数だけでなく、身内(スタッフ)も増えてくる。初めは自分ひとり。いまだにこんな自分を事務方として抱えてくれる代表や会社には心から感謝である。

そこで気づいたのは、じぶんがこの10年の間にいかに様々なとんでも案件の価値観に出会って、対応してきたのかということ。

今では、自分の想像を越えた価値観(=理解できない価値観w)の人がいることを忘れずに対応を行うことが自分の事務上のポリシーになりつつある。これは、前会社が取り扱う組織が掲げた「共存共栄」に基づくもの。学校みたいに、校則に反すればアウトで、校則に沿って行うように求められればいいが、そういうものでは一切ない。

「規定だから、守るもの」ではない。

「その対応が必要だから規定として、全体で共有し、守ることにしたもの。」である。「守る必要があるから規定になった」。それだけである。

だから、不要になれば、非該当のケースであれば、事務方の都合など御構い無しに問答無用で『変身』してしまう、ある意味、とんでも規定である。


そんなわけだから、全ての規定を規定として一律に共有するわけではない。人や状況によって必要となった対応策が、汎用性を持つので、規定化される。が、共有しても、読む人によっては誤認してしまう可能性があれば、一律での共有は単なる「リスク」でしかない。


そこで、事務方としての腕が試される。

明らかに異なる価値観を有した人たちのコミュニティにおける「規定」のあり方。


共有できるものは明記し、共有。

共有し難いものは、非該当時の問合せ先を設置して、未公開規定から検索し、なければ適宜検討。


ある人には薬の規定が、ある人にとっては毒にもなりうる。

なんだか、魔法を使ってるみたい♡魔法使いの気分ですよ。


いやあ、世の中っておもしろい。

在宅ワーク14年目の法務寄りの事務方さん。 元弁護士秘書でうたうひと。QOLを高めるサービスの会社に従事。永遠のテーマは共存共栄。価値観の多様性をそのままに一人残らず対応したい。