推しの番組にお便りを送ること

「推し」に対してコンテンツにお金を使うこととは別に応援表現はさまざまあると思う。自分のSNSでタグ付きで出演した番組やライブの感想をつぶやいたり、推しのSNSのアカウントにリプライを送ったり、配信をしてる推しだったら、投げ銭をしたり(金額によってはコンテンツ以上にお金払ってるかもしれない)、ルールもあるだろうけどファンアート(絵だけでなく手芸や料理ライブに使用するうちわなど)自分のアカウントにアップするとか。SNSでトレンド入りすることやフォロー数が仕事に繋がるとかまことしやかにいわれているが「ファンがこんなにいるんだよ」という世間や制作側へのアピールは私が知らないものを含めて応援のスタイルは多様化しジャンルによって変化を遂げていると思う。

その中で私が比較的積極的に行っているものが「番組にお便りを送る」である。手段としてはハガキ→FAX→メールと変化しても(今はTwitterで番組のハッシュタグでお便りもあるが)なんとも古典的ではあるが無くならないものだなと思う。今でこそ推しの出演する番組には絶対にメールを送っているが前の前の推しの時は番組がいくつかあったが一度も送ることはなかった(厳密にいうと前推しに推し変してから個人の番組ができたので、その時に一回だけ送った)
ラジオにメールを送ることで応援をはじめたのは前推しからである。前推しのラジオを聴きそのトークとそのラジオに関係するコンテンツを見て推し始めたのだから、当たり前かもしれない。ただしきっかけになった番組だけメールを送っていたし、もう一つ長くやっていた番組はゲーム主体だったので、ゲームは推しの声を聞くためにやっている私からするとメールを送れるほどの知識もなく楽しめないので、聴くこと自体ほぼなかった。
前推しは男性声優には珍しくファンの男女比が2:8、いや3:7くらいであった。(男性声優のファンの男女比はたぶん1:9か0.5:9.5くらいが妥当だと思う)そのせいなのか、もしくは構成作家がお笑いラジオもやっていたりするからか笑いを取れるかオチがあるかどうかが採用のバロメーターの一つでもあった。実際に返答に困るようなトークが続かないメールには「で?」と返していた。質問メールも大喜利のような形にも思えたし、お笑いのラジオによくあるヘビーリスナーイジリ的な要素もあった。そんな番組は私に推しに名前を読んでもらえるだけでなく「こいつは面白いと思われる」メールを採用されることの楽しさとどんな書き方をすれば一般的に採用されやすいのかを教えてくれた番組だと言える。絵を描けるファンとは違う形でアピールもあったかもしれない。また、リスナーの投げたひとネタからコーナーが出来上がりそのコーナーが跳ねて、リスナーが増えたのを目の当たりした経験から面白いメールを書ければ番組が存続することも知った。
そしてこの時期に気づいたことがメールの数が番組存続に関わるのかどうかという問題である。

「30分番組の2本録で各一ずつ読まれるならまだいいが、同じ30分内に同じ方が読まれることが続くとは3ヶ月で終わる」である。これは想像でしかないのだが、メールを送るぐらい思い入れのあるリスナーが〇〇人いる→大体これくらいが常時聴いているリスナーが割り出されるのではないかと思う。今の場合は再生回数もあるけれどリピートするほど聴く勢と一回だけ聴く勢のバランスなどもわかるのではないだろうか。もちろん番組グッズを出して回収しようとか、番組でユニット活動することで番組が続いているのもあるが私が感じるメールの公式に基づいて実際に終わった番組をいくつか見ている。以前少し仲良くさせてもらっていたフォロワーさんに番組存続のためにペンネームだけでなく、同じIPにならないように別の場所から別のアドレスで違う名前でメールを送ることを徹底していた方がいらっしゃった。その感覚が未だに私にもあるのだ。ただ私は基本的に各番組各回一本ずつしかメールを送れない。思いつかない。けれど粛々と毎回の放送に合わせてメールを送り続ける。

私が現推しの渡辺紘さんに推し変した時にかなり驚いたことの一つはニコニコ動画に数多の番組が生まれては消えしていることである。タイムシフトが前提。番組一つ一つや兄弟番組のチャンネルの会員(チャンネル会員=チャ員)になるつまり大抵550円払えば、過去回全部聴けます、もしくはボイガレやラジ友のように一定期間関連番組を全て聴けますというものだ。前推しは電波にのるもしくはWEBラジオで聞き逃したものについても1週間以内であれば無料でもしくはradikoで聴けるという恵まれた環境にいたということを思い知らされた。
同時にありとあらゆるジャンルでサブスクが利用され、テレビも視聴者が放送時間に行動を合わせていたのがタイムシフト機能が常備され、無料見逃し配信や月額でお金を払えばドラマのイッキ見や過去の番組を見ることができるのだから当然だとも思えた。またみんなが同じものを見て聞いて楽しむ時代から、個人によって楽しむもののジャンルが細分化される時代に移り変わる中でニーズに応えた結果作り続けるには伴わないお金を広告ではなく視聴する側に直接負担してもらうのも、不思議ではない。
昔であれば好みが大多数と同じにならない私のような人間は自分が好きだった番組が視聴率が悪くて終わってしまうことが多々あったが少額で課金をすれば継続する可能性もあるのなら喜んでする。
話を戻すが、こうなるとチャ員数がどれほどいるかが問題であり、以前のようなメール数に応じて番組存続が決まるものでもないというのも重々承知しているが、番組を作り上げる点ではメールというものは不可欠なものもある気がしている。ニコ生のように画像付きのものであればまだしも音声だけのトークを続けるにしてもネタが必要だ。お便りを送るという行為は場合によっては認知目的もあるかもしれないが推しの番組の存続の一旦を担うというお金を払うというもより時間を費やすという形の応援スタイルだと思う。(タイムイズマネー)

今、実はメールを送る際に悩みがある。それぞれの番組にそれぞれ違う悩みだ。
渡辺紘さんは中田祐矢さんとの番組「前だけ見てろ」(マエミテ)と「渡辺紘のカジュアルトークラウンジ」(カジュラジ)という番組を持っているがマエミテは常にゆうゆと2人だけでもう4年やっているのだがもう4年も季節が過ぎると大抵のことは尋ねたし大抵の季節ものもやった。メールテーマはもちろんあるがだんだんと自分のネタにも限界を感じる。だからといってメールを送るのをやめようとはならない(たぶん分母が少ない故の使命感もあるのかもしれない)
カジュラジは一ヶ月ごとにゲストを呼び、相手が変わる。問題は私がその相手のことをどこまで知っているかだ。共演作がありそれこそ関係が長い作品であれば自然と相手と推しがどういう関係かがわかっているので踏み込んだメールがかけるが、あまり詳しくないゲストが決まればとにかく相手の番組を見たり聴いたりするが付け焼き刃の知識では結局納得してメールを書けない。そして杞憂だがゲストのオタクにどう思われるかも気にしてしまう。じゃあ書かなきゃいいじゃんと思われるだろうが、そういうときこそ話題のきっかけのメールが必要な気がして無駄にオタクの使命感にかられるのだ。
またゲストに行く立場のときも悩んでしまう。私は渡辺紘さんのことをメールのときも「ひろひろ」もしくは「ひろひろさん」と表記するが、相手のことを苗字、もしくは名前+さん付けがほとんどでどうしてもひろひろが浮いてしまう気がしている。特にゲストで呼ばれた場合に気にかかることは(カジュラジでもあるが)相手のこと持ち上げたメールを送るべきかどうかである。相手のことが好きなゲストだろうと結局は私は渡辺紘さんが好きだし渡辺紘さんの情報以上にゲストのことを知っているはずもない。その中で2人をどうフラットに扱いながらメールを書くかがとても悩みの種である。(その点で言うとラーメン男子はテーマがゲストのイケメンなところなのでただ渡辺紘さんの好きなところを書き綴ればよかったので大変助かった)「私は渡辺紘さんのオタクなんです!!」と言うことを前面に出したメールでいいのか、いや相手に気を使うメールがいいのか人それぞれであるかもしれないが本人たちはどう思っているのか是非聞かせてほしい。
結局、オタクはメール一つにも推しの喜ぶ顔を見たい、笑ってもらいたいというところからそんな思いに至っているのではないか
そしてオタクたちはどんな風に思いながらメールを書いているのかいろいろな方の意見を聞いてみたい。

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